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「薬を飲むのを止めよう」とプレデアス人も言っている

プレデアス? 自称でしょう?

まあ、そう言えばそうなりますね。 だって誰も検証できないわけだし。

それよりも、言っている事は同じなのですね。

「薬を飲むのを止めよう」と。

 

引用転載元

”薬”を飲むのをやめよう

人間は薬を大切にする。
だが、その薬が反対に人間の肉体の細胞を壊している。人間は本来的に自然治癒力を持っているが、薬に頼ることでその力が弱っている。21世紀の戦争は核兵器や武力ではない。それは人間たちの悪い想念が生み出し、自分だけよければ他はどうなっても構わないという、自分たちの利益だけを考えた、エゴが作り出した化学の悪性ウィルスや薬害だ。

21世紀の戦争は、人間の悪い想念が生み出した人工物である。
悪想念は現実に、生身の体を切り、病気を引き起こす。物質には限界があるが、想念には限界はなく、想像やイメージにも限界はない。

21世紀は創造と改革の年であり、これまでに創り上げられたものが壊され、新しい地球が誕生する。そして今の地球人の細胞に新しい息吹が入る。精神感応の時代が来る。人類はもう癌や脳疾患など、病気で悩むことがなくなる。今、人間の細胞に2%の新しい細胞が組み込まれており、あとの98%の古い細胞は除去される。よって、すべての病気などはなくなる。本来、魂は永遠なので、”古い時代に病気という細胞があった”という記憶が潜在意識に残るだけになるだろう。

自分の体内にある水と会話してみよう。
MRIに入る前に、自分自身の体の部分を頭に思い浮かべてみよう。すべての臓器やすべての血管、すべての筋肉、毛髪の1本まで、唾液もすべて、頭頂から指先まで調べてみよう。病気の人や精神を病んでいる人たちは、体内の水が濁っている。身体の水と会話すると、必然的に病気の場所が自分でわかってくる。現代医学で治らない病気でも、治る場合がある。(略)

人の身体に起きる”発熱”は、身体調整と免疫力増強のために必要なものです。発熱は体内に入ってきたウィルス、病原菌、邪気を全身に知らせる警報装置の役割をします。警報装置が作動すると、メッセンジャー・コドンが悪い部分を000・3秒で探し出し、必要事項のチェックを始めます。

それを怪我やウィルス、火傷などに分類し、その場所の一番近くの「筋肉科」のドクターが救急隊として選択され、タンパク質倉庫の58番と151番のアスパラギン酸を右手型アミノ酸に変化させ、救援のために飛び出します。

右手型アミノ酸が事故現場に到着すると、一瞬で麻酔作用が作動し、患部の麻痺が同時に脳に伝達されると、瞬間に救援班右手型アミノ酸は死滅します。右手型アミノ酸死滅と同時に、本格的な筋肉科のドクターと左手型アミノ酸が治療を開始します。これが、自然治癒力です。

さて、あなたはまだ”薬”を飲みますか・・・?
本来、人間の肉体には無数のドクターが存在しています。それには内科や外科、婦人科、泌尿器科、肛門科、そして筋肉科のドクターもいます。また名医のドクターをサポートする沢山の薬剤師もおり、369階建ての高層ビルの中には13万6161の薬局があり、しかも24時間営業をしています。そうであるにもかかわらず、今では身体の外、つまり外にある診療所だけに依存して治療してもらう人々がほとんどになりました。

さて風邪ですが、せめて風邪を引いた時だけでも、自然治癒力に任せてはどうでしょうか? 今後、2013年頃から、5時間で体内を蝕んで命を奪う悪性ウィルスが生まれてきます。その原因は森林が壊滅していくからで、発生年数が遅れたとしてもどちらにしろそのウィルスは誕生します。

もしあなたが、風邪のために何度も”風邪薬”なるものを服用していたとすれば、慢性薬害のために体内が麻痺していることから、ウィルスに対抗することはできません。風邪の治療法は、

① 空腹にして身体を休める。
② 少し温めたぬるい湯水に少しの塩を入れて飲む。つまり水分を摂る。
③ タオル・蒸しタオルを首に巻き、首を温める。
④ 高熱の場合は、手首・足首・脇を冷やす。

現在では人々は、身体の外のドクターから大量の薬をもらって服用しているために、体内ドクターも体内の薬品会社も倒産の危機に陥っています。あなた方が手にする輸入された薬には、期待に反して猛毒も入れられており、あなたの生命万能素材であるアミノ酸やタンパク質を殺しています。今では、食料にも薬にも毒が入れられているのです。

下痢や嘔吐、鼻水、くしゃみは、体内に蓄積している毒素を出す作用です。
これまでのように薬を飲みたくなりますが、こうした症状を止めようとはしないで、自然に止まるまで待ちましょう。

風邪も体内信号機です。
赤信号が発熱・病原菌・ウィルスで、黄色がくしゃみ・咳・鼻水、青が健康で進めです。信号が黄色のランプを点灯したら休みます。仕事も学校も育児も家事もすべて休み、3日間だけ「ずぼらな日」をつくります。

3日間をほとんど、粥程度の軽食で空腹を味わいながら、ぬるいお湯を飲んで水分を摂っていれば、腹痛も風邪も治ります。むしろ風邪完治とともに、身体はますます元気に作動するようになります。

注意事項
①(高熱でない)発熱は冷やさない。つまり熱の出るのを止めない。(特別なウィルスの熱は異なる)
②風邪・腹痛では薬を飲まない。
③傷を消毒薬で消毒しない。
④アトピー性湿疹および湿疹にステロイド薬を塗らない。
⑤暴飲・暴食をしない。

この5つを守れば、人間は125歳まで生きることができます。

book『プレアデス「メシアメジャー」からの黙示メッセージ』 村中愛
ヒカルランド

抜粋

 

『医学は迷信』岡田茂吉医学論より

「医学は迷信」

 

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

 

 

 

医学は迷信なり

医学関
御論文集『医学革命の書』執筆日不明、推定昭和28(1953)年

序文にもある通り現代医学がいかに誤っているかをこれから種々の例を挙げて説明してみるが、まず誰しも病気に罹るや早速医師に診て貰う。医師は一通り診 察をして簡単に病症を言い、投薬注射等を行うがそれで治る事もあり、治らない事もあるのは誰も知る通りである。ところがこの場合診断の方法としては程々の 機械を用いておよその見当をつけるが、これは病気として表面に表われただけの説明であって、その内容も真の病原が分らずに治療するのであるから、思うよう に治らないのは医師もよく知っているはずであるどころか、医師自身は長年月かかって専門の教育を受け卒業後も相当実地経験を経た事とて分ったつもりでいる が、実地にぶっつかってみると余りに学理と異(ちが)う点が多いのでその悩みは一通りではない。そこで思う事は、医学は未だそこまで進歩していないから、 止むを得ないが、しかし世界中の学者の絶えざる研究努力によって徐々として解決されるに違いないからその時まで待つより仕方ないと諦めているのが現状であ ろう。それと共に患者の方でも、病気になったら、医療で治るものと子供の時から教育されており、しかも医学の進歩を種々の道具立てで固く信じさせられてい る以上たまたまその誤りを吾々が話しても信じないのも無理はない。しかしたとえ医療で治ってもそれは一時的で、全治でないから必ず再発するか、または形を 変えた他の病気となって起るのは勿論で、治った安心がいつも裏切られるのは誰も知る通りである。その証拠には、病家といって町医師などは、必ず常得意を もっている。もし本当に治ったとしたら、それで済んでしまい、その先は御用無しになるから縁が切れてしまうはずである。また医学で本当に病気が治るものな ら、医師の家庭に限って病人はないはずである。またよく言われる、手後れなど実はあるものでないので、これは病院の看護婦などもそうで、しかも治療設備も 至れり尽せりであるにおいてをやである。ところが実際は医師の家族も病院の看護婦も一般人よりも病気に罹り易い事実はどういう訳であるかである。また医学 博士などは最も長命であるはずなのに、統計上他の博士よりも早死と言われている。そうしてこれも分らない話の一つだが、よく医師は病人に対って“あなたの 苦痛は神経のためで、これという病気はない”といって済ましているが、もしそれが本当だとしたら、病気のないのに苦痛を感ずる神経としたら、その神経が大 いに病気に罹っている訳である。故にそれを治すべきではないか、
また“あなたの病気は重いから入院しなければならない”というので“では入院すれば必ず治るか”と訊くと“それは請合えない”という答などもよく聞く が、これほど理屈に合わない話はあるまい。察するにこれらは患者を研究材料にする目的ではないかと思うが、患者こそ好い災難である。それからこういう事も よく聞く、“あなたの病気は万人に一人しかない程のものだから治らないのだ”という言葉も一種の遁辞としか思えない。また原因を訊かれても適切な返事の出 来ないのは医師もよく知っているであろう。その殆んどは御座なり的で曖昧極まるものである。それと同じようによくラジオや新聞にある質疑応答などもそう だ。断定的の答は殆んどない。特に馬鹿々々しいのはよく“専門医に診て貰いなさい”というが訊き手は専門医に散々かかって治らないから訊くのである。その 点医師は百も承知であるが、答に窮したための逃口上であろう。その他こういう事もある。“あなたの病気は正しい医師に診て貰え”“正しい療法を受けなさ い”などというが、もしそうだとすれば、正しくない医師も正しくない治療もある訳である。しかし実際素人である患者にその正不正の判別は分るはずがないで はないか、もしそれが本当だとすればおかしな事になる。それは今まで有名な博士や大病院で散々治療を受けても治らなかったのはつまり正しくない医師に掛か り、正しくない治療を受けていた訳であるというように、何もかも、一時逃れとしか思えない。また医師の言葉もそうである。例えばその薬なら、その療法なら 必ず治るとは言わない。治るはずだとか、治る事になっている。学理上そうでなくてはならない、そう言われている。まだ医学はそこまで進歩していない。まだ 分っていない、それでいい訳だ、そんな訳はないなどは誰も知っているであろう。
酷いのになるとこういう事も聞く“あなたのように、医師ばかり頼っては困る。自分でも治すようにしなければいけないというに至っては噴飯物である。以上によってみても現代医学の程度はほぼ分ったであろう。
このような幼稚極まる医学の実体を専門家も一般人も看破する事が出来ず、病気は医師と薬というように、これが常識となっているのであるから、全く世紀の 謎である。故に医師に掛かりながらどんなに悪化しようが苦しもうが疑うどころか、死んでしまっても目が醒めず運命と諦めているのだから、よくもこれほどま でに科学の魔術にかかってしまったものと驚かぎるを得ないのである。この医学迷信に比べたら、宗教迷信などは物の数ではない。ではこれほどの迷信は何に よって作り上げられたかというその真相を次説明してみよう。

 

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

 

 

「医者が患者をだますとき」より「死の医学」

医者が患者をだますとき
より
 死の医学

医者が仕事を休むと死亡率が下がる

現代医学は偶像崇拝の宗教である。 なぜなら、現代医学が神聖なものとしてあがめるのは、人々の生命ではなく、医療機器に依存した儀式だからだ。 現代医学が誇る業績とは、どれだけ多くの人の魂や生命を救ったかではなく、どれだけ多くの新しい医療機器を使い、どれだけ多くの収益を上げたかということである。

すべての宗教の根源には、現世の状況に対処しようとする人間の試みがすべて行き詰まったときに生きる勇気を与える希望の泉が秘められている。 まさにそれこそが、全てを超越した絶対的な存在、すなわち神にほかならない。 現代医学教の根源にたどり着くには、おびただしい薬の海をわたり、膨大な医療機器の平原を超え、道なき道を進んで行かねばならない。
なぜ現代医学教が残忍な偶像崇拝であり、なぜ人びとはこの現代医学教を打破しなければならないのか。
その理由は、この宗教の神と向き合えばわかるだろう。

現代医学教の神の正体、それは死に神なのである。

「医者による大量虐殺」という言葉がある。 クエンティン・ヤング博士が現代医学の一面を表現するために考案した造語で、
医者が組織的に大勢の人間を殺しているという意味だ。
医者による大量虐殺の一例が、前章で指摘した発展途上国における大勢の乳児の犠牲者である。
安全にミルクを作る環境にない貧しい人々に人工栄養法を大々的に推奨することは、現地の無防備な人々に対する医者の宣戦布告に等しい。

現代医学がいかに猛威を振るっているかは、医者がストをしたときにいつも一目瞭然となる。 医者が仕事をしなくなると、人びとが健康で幸せに暮らせるのだ。

南米のコロンビアの首都ボゴタで医者が五十二日間のストに突入し、救急医療を除いていっさいの診療活動を停止した。
現地の新聞はストの奇妙な影響を報じた。 死亡率が35%も低下したのだ。 国営葬儀協会は「偶然かもしれないが、これは事実である」とコメントした。

ロサンゼルスで医者がストをしたときには死亡率が18%下がった。 カルフォルニア大学ロサンゼルス校で医療管理学を研究するミルトン・レーマー教授が、17の主要病院を調査したところ、ストの期間中、手術の数が六割も減少したことが明らかになった。 しかし、ストが終わって医療機器が再び稼動すると、死亡率はスト前と同じ水準に戻ったという。

イスラエルでも同様のことが起こった。 ストが決行されたために、患者の数が一日65,000人から7,000人に減らされた。
エルサレム葬儀協会によると、ストが行われた一ヶ月間で死亡率が半減したという。 イスラエルでこれほど死亡率が下がったのは、さらに二十年前に医者がストライキをしたとき以来だった。

この現象について説明を求められた医者は
「救急患者に限定して診察したので、重症患者に労力を集中できたからだ」とこたえた。
言い換えれば、医者が軽症患者に余計な治療を行わなければ、人命救助に貢献できるということだ。
医者が救急医療に専念して、不要な医療を慎むのは正しい選択だ。 私はかねてから「医者は永久にストをすべきだ」と主張してきた。 医者が診療活動の九割をやめて救急医療だけに専念すれば、人びとの健康は確実に増進するはずだ。
医者の労力の大半が、人を死に至らしめる行為に費やされている。
現代人はこの由々しき事実から目をそむけてはいけない。

私は学生たちに皮肉を込めてこう教えてる。
「医者として成功したいなら、人の死について考える分野を探しなさい。そうすれば輝かしい将来が約束される」と。

現代医学に関するかぎり、人の死は成長産業である。 医学誌を開けば、避妊、中絶、不妊手術、遺伝子診断、羊水検査、
人口のゼロ成長、尊厳死、生命の質(QOし)、安楽死に関する研究記事が掲載されている。
現代医学が目指しているのは、生命の管理と終結である。 遺伝子診断や人工妊娠中絶につながる羊水検査の強制については議論の段階だが、議論は実施の前段階だ。
深く考えもせずこんなことを礼賛している社会は、宗教的狂乱に陥っているとしか言いようがない。
いずれの医療行為にも生命の尊厳を損なう悪影響があり、化学的な正当性が欠落していることに気付かないように、人びとは情報操作によって騙されているのだ。 どの医療行為も、その本質は死の儀式に他ならない。

生命学を無視する医者たち

人間は生命を育むように設計されている。 その大半の欲求は生殖と自己保存だが、人間のこうした本能の営みは現代医学の攻撃の対象になっている。 人工妊娠中絶、マスターベーション、同性愛といった子どもを産まない性行為は人口増加を抑制する結果となる。 このような「代替ライフスタイル」が許容され、人類が太古の昔から連綿と営んできた生命をはぐくむ行為が受け入れられなくなってきているのが現状だ。

受け入れられているのは、現代医学教の死の儀式に繋がるものばかりである。 自宅で子どもを産むことは罪悪とされているが、病院で中絶しても罪悪には該当しない。 しかも、この手術で患者にどれだけ負担がかかるかは考慮されていない。
現代医学教は、生命を育まない性行為を奨励するだけでなく、生命の軽視も強調する。 これは生命に対する間違った態度であり、人間性が踏みにじられ、良識が欠如している。

たとえば、現代医学は全ての女性に中絶の権利があると認めているが、中絶は選択の自由という観点から捉えるのではなく、生物学的に中絶よりももっと大切なものがあるという視点から捉えなおすことが大切なのだ。
ユダヤ教の律法のような伝統のある倫理体系では、母体が危険にさらされているときに限り、母親の生命は胎児の生命に優先するという判断に基づき、中絶が権利としてではなく義務として行われている。 だが、現代医学は中絶を一方的に奨励するばかりで、母親であれ胎児であれ、生命の大切さを考慮しようとはしない。 現代医学が関心を寄せているのは医療技術でしかないのだ。

現代医学は女性に及ばす被害を顧みず、産児制限を大々的に推進してきた。 だが、これは現代医学が犯した大きな間違いのひとつだった。
産児制限は、道徳的な罪悪と生物学的な罪悪の違いを最も際立たせる問題である。 産児制限そのものは道徳的には間違ってはいないが、産児制限で行われるいくつかの方法は、女性の生命をおびやかす危険性があるという点で生物学的な間違いを犯している。

ピルやペッサリー、子宮内リング(IUD)などの避妊法について、医者がそれらに伴うリスクをどの女性にも納得させたうえで本人に選択させるのであれば問題はあまりない。 しかし実際には、これらの処置が女性の体をどれだけ危険にさらすかという点について当の本人には十分な説明がされておらず、選択の余地すら与えられていない。

医者は生物学を無視する。 つまり、医者は自分が行っている医療行為が患者にとって利益よりも不利益になる可能性があるという事実を徹底的に無視するのだ。

だからこそ、現代医学の真の目的(死への儀式)が忠実に実行されるのだとしか説明のしようがない。

余命告知の問題

医学生だったころの私は、医学とは救助と延命を追及する学問だと思っていた。 最近よく言われる「死に方の質」という問題に関する真剣な議論は、かつてはほとんど行われていなかったように記憶している。 当時、人の死を扱うときは希望を持ち続けることが重要とされていたからだ。
死を否定するというのは、最近ではあまり好ましくないように受け取られがちだが、多くの研究で指摘されているように、がん患者は病気を受容するより、むしろそれを否定して病気に立ち向かってゆくほうが生存率は高くなる。

この問題について「イギリスの医学雑誌」はこんな興味深い記事を掲載している。
「生存期間を左右する一因として、患者の心理的要因があることが臨床データーによって裏付けられている。
最近、ワイズマンとウォーデンの両博士ががん患者の生存率の統計をもとに、平均より長生きした患者と
早く死んだ患者を比較した。
その結果、病気が進行したとき、生きる意欲と闘争心をもって積極的な姿勢を維持する患者は平均より長く生き、
反対に「もう死にたい」と口にしたり簡単に死を受容したりする患者は平均より早く死亡していることがわかった。
さらに、心臓病患者でうつになりやすい人は、そうでない人に比べて生存率が低いことも複数の研究で明らかにされた。
総合的に見ると、希望に満ちた心のもち方は寿命を延ばし、死を受容したり気持ちが沈んだりすると寿命を縮めるようだ」

このような報告がある一方、最近の医学会議で、ある医者が抗がん剤治療について次のような発言をしていた。
「救命の方法と新しい治療法の発見には大いに興味があるが、患者がある程度死を受容して安らかに死ぬことが
出来るように配慮することが大切だ。私はスタッフと共に時間と労力の大部分を割いて末期患者に接しているが、
その際のカウンセリングはできれば家族のいないところで行うようにしている」

なぜ、この医者を含めて死の商人たちは「家族のいないところでカウンセリングを行う」というのか。
私にはその理由がわかる。
家族の目的は生命を育むことであり、家族の影響があると、患者を死から遠ざけることになるからだ。

人の死を研究している多くの医者は、患者は死を受容すべきだという前提に立って医療にかかわっている。 つまり、医者は患者を治療して死なせているのだ。 その理由は、患者を治療して生かせておくことができないからである。 医者は「死を否定することは、ある意味で精神的に不健全だ」と言い、さらにこう主張する。
「もし末期患者が死について語らず、死と直面もせず、あきらめて死のうとしないから、長いあいだ病気で苦しむことになる」
カウンセリングで死を受容することを患者に説く医者たちは、何か見当違いをしているのではないか。
「もうこれ以上生きられる見込みはありません」などと言う医者は、患者にとって何の役にも立たない存在である。
患者に「あなたはもう長くは生きられません」と言って余命を告知することは、患者に呪いをかけているのと同じなのだ。
患者は医者の言葉を信じ、告知されたとおりに死んでいく。

気の持ちようが体の治癒能力に影響を与える。 もちろん医者は自然治癒力を認めようとはしないが、楽観的な姿勢を維持することがいかに大切であるかは論をまたない。 医者は余命を告知するよりも、むしろ患者の将来設計を手伝うべきだ。
患者に「死に至る病気なので、医学の力ではあまり効果がない」と言うのと、「あなたの死は避けられない」と言うのとでは意味が全く違ってくる。
もちろん医者が患者の病気に対して無力であることを認め「現代医学以外の治療や患者自身の自然治癒力を活かせば効果があるかもしれません」と言ってしまえば、患者に対する統制力を失うことになる。 だから、医者としてはそんなことはなかなか言えない。 現代医学の儀式(治療)はますます奏功せず、患者の生命を脅かすようになっている。
医者のこうした仕事振りがもたらす必然的な結果は、医療ビジネスを営む上で理にかなっている。
患者が死を人生の一部として受容するようになれば、病院としては死の領域を扱う医療を新たに設けることが出来る。

それが終末期医療である。

「薬が効かなくなってくる!」昭和20年代からの警鐘

 

薬が効かなくなって来た

 

 

いずれは抗生物質は超耐性菌の蔓延で無効になるやも知れないのですが、他の薬も同じように思われます。

なぜなら自然界は浄化の力を増し、薬の方ではその浄化停止のための毒成分だからです。

体のほうではその毒成分をいつまでも受け入れるはずもなく、薬の効果(症状緩和、停止)が段々と薄くなってくるからです。

まずはそれが抗生物質にはっきり出てきたようですが、おそらく他の薬にしても同様なことになるかも知れません。

 

岡田茂吉の医学論のすべてを肯定する必要もありませんが、かなり当時(昭和20年代まで)の話に信ぴょう性が出てきたようです。

その中から、当時の講話や論文から一部抜き出してみました。

ようやく現代でも薬の危険性が書かれた本がいくつも書店に並ぶようになってきました。

ここまで半世紀以上もかかったということですが、それだけ薬の浄化停止のための研究開発も優秀だったというわけでしょうね。

しかし、どこまで行っても相手は自然界、所詮はお釈迦様の手のひらの内、いつか薬の効果の期限切れ、どころかその正体である毒性がもろに現れることになるというショッキングな話ですが、いちおうご参考に。

良いとこだけ取り  でお願いいたします。

 

 

医学が私の説を採入れ始めた?
『栄光』224号、昭和28(1953)年9月2日発行

去る六月九日の時事新報紙上に、栄養剤について私の唱える通りの説を、慶大医学部西田敬教授がいった言をかいてあるの で、私は誠に喜ばしく思った。また医 薬についても、生温(なまぬる)い点は多々あるが、これまでの説と異(ちが)って余程私の説に近いものがあった。このようにたとえ少しずつでも医学の方で 分ってくれるとしたら、私望外の幸であるという事を一言付け加えて全文のまま左に掲げる事とした。

肝心の時効かなくなる
危い素人診断
新薬ホルモン剤常用御注意
近頃の新聞や雑誌を手にとって目につくのは、病む人でなくてもまず薬の広告でしょう。
けれどもその広告にうたわれた効能をいわゆる素人診断で適応症にあて はめ、家庭で簡単に用いるのは危険です。
特にペニシリン、ストレプトマイシン、オーレオマイシンなどの抗生物質の薬やその他の新薬は、いい加減に使ってい ると病原菌に抵抗性が出来、肝心の時に効目がなくなったり、思いがけない結果を招く事があります。
それでなくても人間の身体は適応性を持っているので、た とえばある期間ビタミン剤を連用していると、純粋な形のビタミンがどんどん補給されるので食物の中から苦労して消化吸収する必要がなくなり臓器の能力がだ んだんにおとろえて来ます。
同じことはホルモン剤にもいえる。

やたらとホルモン剤を服用することによって、体内での分泌能力がますます弱くなり 薬の切れ目には以前よりも悪い結果になるだろうことは、学問的にとまでいわなくても常識で考えられることです。
はっきりとした欠乏症状の現われた時に医師 の指示を受けて用い治ったらやめるというケジメはどの薬についてもいえるわけです。
予防の意味でなら薬にたよらず臓器自身の働きで、消化吸収または分泌を うながすよう、食事の注意から心掛けるのが本当でしょう。
また一般に薬というと、目に見える効目(ききめ)を頼り熱が出れば解熱剤、頭が痛めば鎮痛剤と、 その現われた症状だけをおさえつければなおったように思う人が多いようですがこれは間違いです。
もともと身体はそのどこかに異状が起ると、熱や痛みその他 の形をとってそれらと闘おうとする作用を持っているので、それぞれの症状にはそれ相当の理由があるのです。
その原因もたしかめずにただ無闇とおさえつけて しまったのでは、かえって病状を悪化させることにもなるのは当然といえましょう。
どうしても原因の分らない時とか、原因を探すよりさきに処置しなくては、 生命に危険な高熱とか痛みでもない限り、薬はどこまでも原因に対して使うのが本当です。
それにはまず医師の注意に従い、間違いのないよう実行するよう心掛 けたいものです。

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

次に昭和28(1953)年9月2日の話より

新聞記載の記事を転載したものから

 

既に昭和の20年代に、抗生物質の使用が将来耐性菌の出現で無効になるだろうという警鐘がされていたようです。 (医師からの話)

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

 

去る十二月九日内外タイムス掲載
性病戦線異常あり

戦後性病の救世主ともてはやされたペニシリンの出現から、近頃ではオーレオマイシン、テラマイシンに至るまで、新薬は次々に誕生するが、性病は一向無くならない。
それどころか巷間にはペニシリンも効かなくなったという声さえ聞く。
このように変ってきたのは人体に抵抗ができた為だろうか、それとも薬の効果が薄くなったのだろうか、今回の「性の教室」は昔からの治療法の変遷と、最近「性病戦線」について吉原病院長雪吹周、回春堂病院医長荘田修一郎の両氏に説明して貰った。

もう効かぬペニシリン“学理”覆えす“臨床”

まず絶対的にされていたペニシリンの効果につき疑いがもたれているが、これを雪吹氏は臨床家として次のように解明した。

私達が初めてペニシリンを扱った時は、それこそ淋病の絶滅も夢ならずと考えられた程だ。
ところがペニシリンが使いよいようなスタイルで製造されて来た。
そうするうちに使用量がぐんぐん増えてきてしまった。
最初使ったのは水溶性結晶ペニシリンで、特徴としては吸収が早く、血中の濃度が上昇して排泄が早く下る為に有効時間が短いという欠点があった。
その為に数時間後には次々と注射補給をしなければならない不満があった。
しかし間断なく補給注射したとき実際効果は顕著だった。
そのうち淋菌に対して血中濃度を長い時間保たせるように油に溶かしたものができてきた。
これを油蝋牲ペニシリンというが、これとか痛み止めのために油性のブロカインが入ったもの、ステアリンサン、アルブミンなどの混入されたペニシリンが生まれた。

これは吸収が緩慢で長時間血中濃度を保つようになり、一度に必要量を注入することができるので大変便利になってきた。
ところがこれを使うようになってから淋疾などの治療成績が落ち出してきた。
つまり水溶性の際には総量二十万単位で全治したものが、ブロカイン入りのものなどでは三十万単位を最低として、九十万単位位まであげて注射しなければならなくなった。
これはペニシリンそのものが淋菌に効かなくなったというよりも、ペニシリンの使用を便利にしたため、血中濃度の上昇速度が落ちて効かなくなったと思われる。
いまでも場合によって水溶性を使えばよいと思うことがある。
又医師がペニシリンに対して信頼感をもちすぎた事と、患者が何でもペニシリンさえ射てばよいと素人療法で無軌道に乱用して拗らせたことも原因だ。

ペニシリンを注射すると一時症状は除けるが、その後数日間細菌学的検査を行った場合には約二割の人々は完全に治癒していない。
治ったと思い込んでも実際は慢性に罹ってしまってその後は九十万単位も注射しないと治らないという型の淋疾ができてきた。
これも治りにくくなった一つの原因といえるであろう。
ともあれ一般にペニシリンには抵抗性耐性がないもので、撲滅できない淋疾はあり得ないということがいまだに学界の定説。

しかし患者の症状――疾病の時期に応じて、ペニシリンを選択し、臨床的、細菌学的に治療を施さなければ効果は少く拗らせたものは根治し難い。

また梅毒もサルバルサンを四、五本射てば効いた当時と、現在のペニシリンとでは薬物的に違ってきて安全さを尊ばれている。
昔は副作用が強かったのだ。
しかし梅毒は淋疾と違って中途半端な治療を数回繰返すと極めて治り難いものが生まれてしまう。
これからみても梅毒は耐性があるということが言えるようだ。

良薬を打負かす菌 いく度か出た“救世主”

次に性病治療の変遷を荘田氏は次の様に説明している。

梅毒は明治時代は水銀療法だったが、これはある程度進行を食止めるに過ぎなかった。
大正三年にサルバルサンができて、それまでよりは効果があるとされたがこれも昭和六年頃になると一週一回で治っていたものが、極量治療を行っても一週二回は射たなければ治らなくなってしまった。
この他大正九年には水銀に代ってビスマスという薬が現われたが効果はなかった。

以来昭和二十一年までサルバルサンによる治療が続けられたが、次第に効果が失せてきた。
そこへペニシリンが救世主切ように出現した。
だがこれも束の間、当時は三十万単位で快癒したものも、今では初期でも六十万単位を十本位射ち込まなければ効かない。
まして二期梅毒にでもなれば最低九百万から三百万単位を叩き込まなければならず、サルバルサンでも三十本以上を必要とする。
それが第三期以上だとどれ程射ったら効くものやら見当もつかない。

一方トリッペル(淋病)はかつて比較的効果のあったものにサンタールという飲み薬があったが、これは症状を緩和する程度であった。
次にカルシウム色素剤ができてかなり症状を好転させた。
これに次いでズルファミン剤が現われて効果一層よくなり、膿も止まる様になったが、次第に菌が強くなって効果も薄れて来た。

終戦後はペニシリンができて、膿は三十万単位一本でピタリと止り、一時は淋病はこの世から追放されそうに思われたが、これ又例によって効果は薄くなり、そ れ以上でも根治しないものも出てくる始末、その後ストレプトマイシンが出てもてはやされたが、これも決定的な武器とはならず、続いてクロロマイセチン、テ ラマイシン、オーレオマイシン、アイロタイスンの新薬が名乗りをあげているが、これら新抗生物質をもととした最新薬も、拗らせた性病には最後のきめ手には ならないようだ。

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

 

薬が効かなくなる予兆はペニシリン(抗生物質)から始まった

 

一部転載

六 薬が効かなくなった 『栄光」一九六号

 昭和二十八年二月三日東日紙上に左の記事が載っていた。

 「効かなくなったペニシリン」

 戦後医薬界に彗星の如く現れ、あたかも医療に小革命を起こしたかの感があった「ペニシリン」は、最近その効力が著しく低下、特に今全国的に流行している 風邪にも、目立った効力を現していない所から医事関係者や利用者から自然に敬遠され出しているという。そこで「ペニシリン」凋落の真相を東大付属伝染病研 究所、都衛生局などから聞いてみた。
  どんどん強くなる菌
      罪はアメや食品にも
◇ペニシリンが「一般的には大した効き目はない……」といわれだしたのは昭和二十五年全世界を冒しまくったイタリア風邪以来の事である。この原因はペニシ リンそのものは風邪の病原体であるヴィールス菌には全然効果がないためで、専門的に言えばヴィールス菌は百ミリミクロン(一ミクロンは一ミリの百分の一) 以下という電子顕微鏡でもやっと見られる微細なものだが、ペニシリンの効力範囲はその四倍から五倍の四、五百ミクロンまでがせいぜい………という理由から である。従って風邪の副作用として起こった肺炎菌などに対しては効用があるが、風邪そのものには全く歯が立たないというのが信用失墜の最大原因となってい る。
◇ペニシリン不振の第二の原因は放出食料品や国産高級食料品に幾分かの罪がある………これはアメリカばかりでなく世界各国の高級食料品や菓子類の大部分は その中に極小のペニシリンが包含されているためである。幼児用の「アメ」類にもペニシリン入りが宣伝されて売られているのが見掛けられるが、この見方でい くと日本国民の八割強までは知らない間にペニシリンを何らかの形で体内に摂取しているという。従ってペニシリンの注射をした事のない者でもペニシリンへの 抵抗要素を体内に作っている事になり、病気でペニシリン配剤のときに多少の齟齬を来す事もあるといわれ殆ど医療には影響はないが、《効かない……》といわ れる一つの理由になっている。
◇性病の中では淋菌退治はペニシリンの独断場の感があったが、最近は淋菌そのものがペニシリンに対する抵抗力を著しく増しているので、治癒も二、三年前よ りは困難になってきている。つまりペニシリン出現当時の昭和二十二年頃は僅か十万単位から二十万単位の注射で完全に治癒したものが、現在では二十倍近くの 百八十万単位以上を注射しなければ完全治癒は困難だという。
 結局淋菌そのものが数年前より数倍の抵抗度を増したというのが、性病治癒を困難にしている原因となっている。
◇最後にペニシリン・ラッシュという製薬界の現象もこの功罪に仲間入りしている。我が国では最盛期の昭和二十五年には、全国で百社近い製薬会社がフルにペ ニシリンを生産、同年間には七兆五千億単位という天文学的数字のペニシリンが国内に出まわり利用者は競ってこれを使用した。この結果中流階以上の国民はペ ニシリン使用経験者ということになり、前記のような反応が起きる事になったという。では今後の治療法は如何という事になるが、最も賢明な方法は、ペニシリ ン、オーレオマイシンストレプトマイシン、ヒドラジット、テママイシン、パス、クロロマイセチンなどの併用に頼るしかないというのが完全治療の一つの前提 となっている。

 右によってみれば、近来薬の効かなくなった事は確かである。ところが真の原因が分からない為、取ってつけたような、甚だ苦しい理由だか言い訳だか分から ないような説明をしているが、我々から見ると気の毒な位である。信者は百も承知だろうが、これこそ私がいつもいっている通り、全く浄化作用が強くなった為 である事は実にはっきりしているのである。ところが今はペニシリンだけだが、何れは薬という薬は全部効かなくなるのは知れ切った話であるから、そうなった ら大問題である。従ってその時の用意として、今日私は活字に舌に出来るだけ警告しているのである。この結果現代医学は、予期通り革命されなければならない のは火を見るより明らかである。

健康の真理『神示の健康法』

岡田茂吉氏の論文より

 

 

 

一部抜粋転載

 

三 健康の真理『神示の健康法』

 

そもそも、健康を説くに当って第一に心得るべき事は、健康の真諦は自然順応であり、自然尊重である事である。それに就いてまず考うべき事は、造物主即ち 神が人間を造られた御目的は何であるかという事である。我等の解釈によればそれは真善美の完き世界を造る事である。といってもこんな途方もない説は容易に 受入れ難いであろう。勿論、その様な理想世界は何万何十万何百万年かかるかは分からない。としても世界はそれに向かって一歩々々進歩向上しつつある厳然た る過去の事実を見れば否定も出来得ないであろう。そうして神は霊で人間は体であり、両々相まって無限の進歩を遂げつつあるのが実相で、その担当者として人 間があるのはいう迄もない。
以上の如くである以上人間の責任たるや実に大なりというべきであると共に、この大事業を遂行する何よりの条件としては、人間の健康である。この意味に於 いて神は人間にはそれぞれの使命を与え、任務を遂行するに足るだけの健康を与えられているのは当然である。何となればもし健康をそこなうとしたら、神の御 目的は達せられないからである。まずこの道理を基本として深く考えるとしたら、健康こそ人間の本来であり、常態であらなければならない。しかるに不思議に も人間は病気に犯され易い。即ち異常体となるのである。とすればこの事の根本が明らかに判り異常体を正常体に復活せしむる事こそ神の御目的に添う事になる のである。
右の意味によって、人体の異常化を検討する時、何を発見するか。それは何よりも自然に反する為という事である。故にこの反自然の実態を把握し訂正し、常 態に復元する事こそ真の医学であって、その復元の可能であるこそ、正しい医学のあり方である。従って反自然とは如何なるものであるかを以下詳説してみよ う。
人間がこの土に生まれるや、最初は人乳または獣乳を飲む。これは歯が未だ生えず、消化機能も出来立ての脆弱性であるからで、漸次歯も生え揃い、体内機能 も一人前になるに従って、それに適応すべき食物を摂る事になる。また食物もあらゆる種類があり、それぞれ特有の味わいを含んでおり、人体の方にも味覚を与 えられ、楽しんで食するようになっている。その他空気も火も水も、人間の健康に必要な程度に存在しているというように、実に完全に出来ている。人体といえ ども頭脳から理性も記憶も感情も生まれ、手によって物は造られ、足によって人体を自由に移動せしめ、毛髪も皮膚も爪も眼、鼻、口、耳等必要なものは実によ く備わっている、加うるに顔貌から全身まで皮膚によって包まれ、それぞれの美を発揮している。ざっとみただけでも、以上の如くで、些細に検討する時、言葉 では言い表せない造化の妙技である。一輪の花、一枚の葉、山水の美、鳥獣虫魚の末に至るまで、神技の素晴らしさに感嘆せざるを得ないのであるが、特に人間 に至っては全く造物主の傑作である。特に種の保存としての生殖作用至妙に至っては言語に絶するものがある。この様な神の大傑作である人体である以上、病と いう人間活動を阻止するような異変は、如何に反自然的過ちを犯しているかを考えるべきである。人間たるもの、この事に最も反省しなければならないのであ る。

四 人間は健康の器『神示の健康法』

よく昔から人は病の器などと言うが、これほど間違った話はない。我等はこれを訂正して人は健康の器なりというのである。前項に述べた如く元々人間は健康 に造られたものであるからである。ところが実は病なるものは人間に付き物で、どうしても解決出来ないのが現実で、やむを得ず宿命として諦めてしまったので ある。勿論人間一度病に罹るやなかなか簡単には治らない。長くかかったり頻繁に病気に罹ったり人によっては健康時よりも罹病時の方が多い事さえある。それ が為病の器としか思えないので、そのような状態が長く続く事によって病の器などという言葉が出来たのであろう。というのは病気の本体が不明であったから で、病気も死の運命も免れ得ないとされて来たのは無理からぬ事であった。かの釈尊の言われた生病老死の諦めもその為である。また今日予防医学という事を言 われるが、これらも一度病に犯されるや容易に治し得ないからの窮余の産物としか思えない。何となればもし医学が治病能力が絶対であるとしたら、予防医学な ど考え得られないからである。ここで再び本論へ戻るが、前述の如く病原である反自然とは如何なる点であるかを説明してみるが、まず人間罹病するや唯一の方 法として薬剤を用いるがこれがそもそもの誤謬である。薬剤とは漢方に於いては草根木皮、洋方に於いては鉱物植物等から抽出されるもので、これが根本的反自 然である。考えてもみるがいい、右の如き薬剤の性質は必ず苦味、臭味酸味等例外なく人間の嫌忌される味をもっている。よく昔から「薬の後の口直し」という 事がよく物語っている。これらの飲み難いのはなぜであろうかを考えるべきで、神は有毒であるから飲んでは不可である事を示されているのである。かの苦痛緩 和用の麻痺剤としての阿片は芥子の花から採るのである。元来芥子の花とは神が人間の眼を楽しませる目的で造られたもので、決して人間が飲むべく造られたも のではない。また近頃流行薬の一つとして用いられるペニシリンにしても、原料は植物の苔と言う事であるが、これらも人間が口へ入れるものとして造られたも のではない。石または土に美観を添えるためのものである。この理によってあらゆる飲食物は人間の嗜好に適するよう造られている以上それを食えばいいので、 それが自然である。よく何が栄養になるとかならないとかいうような事などは勿論誤りである。食物は凡てその土地の気候風土によって幾分の差異はあるが、そ れがその土地に生まれた人間に適すべく生産されているのである。黄色人が米を食い、白色人が麦を食うのもそうであり、日本が島国であると言う事は魚食を多 くせよという事で、大陸人は肉食である事もそれでいいのである。この理によって、農民の菜食も自然に適っている。二六時中休みなく労働に堪えうるという事 は、菜食が適しているからである。その理を知らない栄養学は近来農民に魚肉を食わせようとするが、これを行えば農民の労働力は減少するのである。それに引 替え漁民は魚食のため持続的労働はできない。間欠的に労働する。また魚食は敏感性を高めるので漁業に適するので、自然は実に良く出来ている。
以上は、薬剤と食物の反自然的誤謬を概略書いたが、特に薬剤が如何に有毒であるに拘わらず、なぜ昔から応用したかという根本原理を漸次とき進めて見よう。

薬物療法より心霊療法へ

 

昭和24年(1949)年

 

 

薬物療法より心霊療法へ

薬物療法より心霊療法へ   松本氏の投稿記事より
昭和24年(1949)年6月25日発行。。
フランスの大医ルネ・アランデイ博士は天然痘を予防するために種痘 を行うと、天然痘に罹り難くなるが、却って結核には罹り易くなると言う事実を指摘しています。この事は十九世紀末から問題になっていて一八八五年オースト リアでは、ウィンナー医学協会々報に千人中十四人の児童が種痘のために腺病質となった実例をあげています。またフランスボルドーの医師ピエロン氏は、成人 して結核に犯され易くなるのは、幼時の種痘の結果であるとの論文を発表しています。
さらにオランダにおいてドクトル・スレトマーケル氏が労働大 臣たりし時、氏は一九二九年オランダへーグにおいて開かれた会議の席上、ホフマン博士が、児童が種痘のために重大なる神経系統の疾患を起した実例百十八件 を挙げて、種痘施術を全国的に中止せんとする議案を会議に提出しています。
英国でもかつて政府が以上の問題に関し、各所の委員会に諮問し、ついに国際委員会がゼネバの国際連盟の衛生部で開かれた際、嗜眠性脳炎が種痘の結果であることが確認されたのであります。
米国においても、ニューヨーク衛生病院長たりしチヤールス・タイアーレル博士は服用薬無用論をとなえて『薬は病気を癒さない、それは自然の治療機能を補助 しないばかりか、それを遅らせるのである。薬はあらゆる病気にとって治療的効力をもっていないばかりか、増悪的影響をもたらすものである』と極言していま す。
またかつて米国アラバマ州の名医エームズ博士は『内外科医学雑誌に自己の臨床上の経験と観察』を発表し『肺炎の治療に普通の薬物治療を用い た場合、却って患者は苦痛を訴え、病気を増悪し、治療を完全にすることを遅らせた。かかる患者は突然衰弱したり、余病を併発したり、快方に向うような徴候 を見せながら突然死の転機を見た』と言っておる。
わが国でも、塩谷信男博士の如き医界の大家で無薬療法を施しておられる人もあり、最近薬物療法よりも精神療法に重きをおく医学者がふえつつあるようであります。
人間が=他の動物も同様であるが=病気に罹るとか負傷した場合、直ちにそれら病傷を癒やすいわゆる自癒作用が患者自らの体内から発生することは周知の事実で、医師はただその自癒作用を助ける役員を果すだけだと言われていました。
しかるに薬物の効果に疑問をさしはさむ者が続出し、しかもそれが医術の大家によって公にさるるに伴い一面霊的療法が盛に高調さるるに至ったことは注目すべ きことで、殊にこの現象が、一八〇三年ダルトンが実験上から提唱した『原子は絶対に不懐性であり、かつ同一元素の原子質量は全く同一であって、化学変化の 単位をなす』と言う原子の永劫不可分説がキュリー夫妻等のウラニュウム放射能の探究に端を発しあらゆる元素は陽電子と陰電子との組合せより成り、陽核の周 囲を陰電子がグルグル回っているものの姿であることが判明するにおいて根本より覆され、今や見ゆる世界、触るる世界、物質あるを知らず、エーテルあるを知 らず、ただ一切をふまえて起てる精なる電子あるを知るのみと唱えらるるに至り、世界中の科学者が唯心科学の殿堂建設に大回転する姿と平行しつつあることは 興味一入深きを覚えるのであります。
ようするに人間も霊的存在であることが明瞭になり、精神が主で肉体は従であることが確められたわけで、病気についても精神療法に重きをおくようになったのは当然と言わなければなりません。
人間は霊的な存在であります、神の造り給うたものであります、仏子であります、従って、絶対であり完全であるのが本来の姿であらねばなりません。人間各自 が自己本来の姿は完全であり絶対であるとの確信に透徹すれば、そこに大安心な得、身心共に大調和にかえり病気は去るはずです。
人間か自己本来の 姿を忘れ、絶えず不完全観に沈淪しまたは病的観念に囚われ心の調和を失う結果、霊肉一如―心身不二の理により病的現象を見るに至るので、神に祈り仏を念ず れぱ神仏絶対力の加被を蒙り大安心を得大調和にかえり病気は去るのであります。但し病気が去ると言うも、人間に自癒作用が生ずると言うも畢竟人間本床の姿 が露現することの別言に外ならぬのであります。
しかしながら、人間はなかなか絶対観に透徹することも神仏の絶対力に乗托(じょうたく)し切るこ とも出来難いのであります。理において会得しても三昧に入ることすなわちそれになり切ることは容易ではありません。しかるに近代心霊科学の進歩に伴い、霊 能の高い人の念力―霊波は他人の心霊に作用してその人の病的現象を是正することの可能が実験上明かにされました。かくして薬物療法より心霊療法に推移せん とするのが今日の状態であります。

 

「病原体からみた人間」~医学は視点を細菌に向けるとすべて分かるのだが

ふつう、人間が病原体をみている。

夫は妻をみて、あれこれ言うだろうし、妻は妻でおっとをみてこれこれだという。

だが、たいていは異なっているのだ。

それは見ている方の立場が違うのと、自己の都合を判定基準に入れているからだろう。

さて、人間と細菌の関係はどうなるのだろうか?

たいていは細菌は発酵の場合は有難く、腐敗の場合は嫌われる。
どちらも分解の過程ではあるが、活かされるのと活かされないの違いだろうか?

人間には細胞の数の10倍とも言われる細菌群が同居しているというから、人間と細菌の関係は切っても切れない関係である。

夫婦も同様と言うだろうが、夫婦は簡単に別れられる。

だが、細菌と人間が別れたら、おそらく人間の方はまいってしまうだろう。
細菌と人間は共生しているというが、本当は人間の方が細菌に依存しているようだ。

ところが、病原菌というと、人間の方は非常に恐れて忌み嫌う。

だが、細菌の方からみたらどうなっているのだろうか?

医学者達は知ナマコになって病原菌をやっつけようとしているが、結局最後はナマコ、いや細菌に敗れてしまってマヌケな存在と化したようだ(一切の抗生物質が効かない超耐性菌を産みだしたのが近代医学というナマコ)

そこで、細菌のことを本当に分かろうとしたら、細菌の立場になってみればイイ野田。

 

人体常在菌

普通は常在して身体のために役立っている。ところがバクテリアファージとか呼ばれるウイルスが介在すると病原菌として働くようになる。

ということは

ウイルスは細菌の司令塔ではないのか?
また、細胞の中身(性質 ← 汚いか綺麗か)を精査して、他の細胞にそれを伝える。つまり、細胞無いの状態を精査して、片付けるか構わないでおくかの情報を一挙に全身に伝えるという情報指令を出す。

だから、ウイルスに感染する細胞と全然影響の無い細胞との見分けが付く。

「この細胞は赤ね」と言って細胞に赤旗を立てる。
その赤旗の立った細胞を免疫システムの中の分解役が働いて始末する。

簡単に言えば、発酵と腐敗の原理のごとく、汚い(毒素の多い)細胞はさっさと片付けてしまうという人体の浄化排泄作用を手助けしている存在なのでしょうね。

綺麗なところに蛆はわかない、住めない。

 

 

参考転載

ファージ:バクテリオファージは、細菌に感染するウィルスで、自分のDNAを細菌に注入し、これを複製することができます。組み換えDNA実験によく用 いられるλ(ラムダ)ファージは40~50キロ塩基対の長さをもつDNAとそれを囲むタンパク質の殻からできています。ファージDNAの一部に外来の DNA断片を組み込み、その後タンパク質の殻をつくるのに必要な成分を加えることにより感染性のあるファージが出来上がります。これを大腸菌に感染させて 外来のDNAを含んだファージを大量に増やすことができます。

 

岡田論「寿命が延びた理由」より

寿命が延びた理由

 


『栄光』234号、昭和28(1953)年11月11日発行

 

近来人間の寿命が延びたといって、この原因を医学の進歩としているが、これは大変な誤りである事をかいてみよう。
それは何かというと、漢方薬と西洋薬との関係にある。
すなわちこれまでの日本人が短命であったのは漢方薬使用のためであって、誰も知る通り漢方薬なるものは量を非常に多くのまなければ効かないとされているからである。
ところが近来に至って漢方薬はほとんど影を没し、普通薬といえば洋薬を指すようになった。
何しろ洋薬は毒分としては漢薬と大差はないが、量が非常に少いため害も少く、これが寿命の延びた理由の一つであって、歴史的にみても分る通り、日本においても上代は普通百歳以上であったものが、紀元千百二十八年雄略天皇頃、シナ)文化と共に漢方薬も渡来し、その頃から病人らしい病人が出来ると共に、ぜんじ)寿齢も短くなったのである。

今一つの理由は近来薬学の進歩によって、浄化停止のための薬毒の力が強くなった割に、副作用の現われ方が延びたからである。
そのため浄化と浄化停止との摩擦が余程緩和された事と、今一つは最近の薬の成分が今までとは全然ちがった、すなわち抗生物質の発見で、これが大いに効いた訳である。
というのは医師も経験者もよく知っている通り、何程効く薬でも一つものを長く続けていると免疫性になり、漸次効かなくなる。
そこで薬を変えると一時よく効くのと同様であって、抗生薬を続けるとしたらいずれは元のもくあみ)となるのはもちろんである。
というように薬効なるものはある限度があるから、治っても安心は出来ない。
つまり根治とはならないからである。
何よりも今日病気をもちながら、どうかこうか働いている人が非常に多くなった事実である。
それは前記のごとく病の一時抑えが、今までよりも期間が延長したためで、これを進歩と錯覚したのである。
従って若くして老人のような消極的健康者が増え、元気溌剌たる人間が段々減るのである。
この例として近来の英、仏等の民族がそうである。
ところがこの理を知らない我国の当局は、やたら)に医学衛生を奨励し、無理をするな、大切にせよ等と注意を怠らないのは、健康が低下したからである事は、これで分るであろう。