日別アーカイブ: 2016年1月15日

薬が効かなくなる予兆はペニシリン(抗生物質)から始まった

 

一部転載

六 薬が効かなくなった 『栄光」一九六号

 昭和二十八年二月三日東日紙上に左の記事が載っていた。

 「効かなくなったペニシリン」

 戦後医薬界に彗星の如く現れ、あたかも医療に小革命を起こしたかの感があった「ペニシリン」は、最近その効力が著しく低下、特に今全国的に流行している 風邪にも、目立った効力を現していない所から医事関係者や利用者から自然に敬遠され出しているという。そこで「ペニシリン」凋落の真相を東大付属伝染病研 究所、都衛生局などから聞いてみた。
  どんどん強くなる菌
      罪はアメや食品にも
◇ペニシリンが「一般的には大した効き目はない……」といわれだしたのは昭和二十五年全世界を冒しまくったイタリア風邪以来の事である。この原因はペニシ リンそのものは風邪の病原体であるヴィールス菌には全然効果がないためで、専門的に言えばヴィールス菌は百ミリミクロン(一ミクロンは一ミリの百分の一) 以下という電子顕微鏡でもやっと見られる微細なものだが、ペニシリンの効力範囲はその四倍から五倍の四、五百ミクロンまでがせいぜい………という理由から である。従って風邪の副作用として起こった肺炎菌などに対しては効用があるが、風邪そのものには全く歯が立たないというのが信用失墜の最大原因となってい る。
◇ペニシリン不振の第二の原因は放出食料品や国産高級食料品に幾分かの罪がある………これはアメリカばかりでなく世界各国の高級食料品や菓子類の大部分は その中に極小のペニシリンが包含されているためである。幼児用の「アメ」類にもペニシリン入りが宣伝されて売られているのが見掛けられるが、この見方でい くと日本国民の八割強までは知らない間にペニシリンを何らかの形で体内に摂取しているという。従ってペニシリンの注射をした事のない者でもペニシリンへの 抵抗要素を体内に作っている事になり、病気でペニシリン配剤のときに多少の齟齬を来す事もあるといわれ殆ど医療には影響はないが、《効かない……》といわ れる一つの理由になっている。
◇性病の中では淋菌退治はペニシリンの独断場の感があったが、最近は淋菌そのものがペニシリンに対する抵抗力を著しく増しているので、治癒も二、三年前よ りは困難になってきている。つまりペニシリン出現当時の昭和二十二年頃は僅か十万単位から二十万単位の注射で完全に治癒したものが、現在では二十倍近くの 百八十万単位以上を注射しなければ完全治癒は困難だという。
 結局淋菌そのものが数年前より数倍の抵抗度を増したというのが、性病治癒を困難にしている原因となっている。
◇最後にペニシリン・ラッシュという製薬界の現象もこの功罪に仲間入りしている。我が国では最盛期の昭和二十五年には、全国で百社近い製薬会社がフルにペ ニシリンを生産、同年間には七兆五千億単位という天文学的数字のペニシリンが国内に出まわり利用者は競ってこれを使用した。この結果中流階以上の国民はペ ニシリン使用経験者ということになり、前記のような反応が起きる事になったという。では今後の治療法は如何という事になるが、最も賢明な方法は、ペニシリ ン、オーレオマイシンストレプトマイシン、ヒドラジット、テママイシン、パス、クロロマイセチンなどの併用に頼るしかないというのが完全治療の一つの前提 となっている。

 右によってみれば、近来薬の効かなくなった事は確かである。ところが真の原因が分からない為、取ってつけたような、甚だ苦しい理由だか言い訳だか分から ないような説明をしているが、我々から見ると気の毒な位である。信者は百も承知だろうが、これこそ私がいつもいっている通り、全く浄化作用が強くなった為 である事は実にはっきりしているのである。ところが今はペニシリンだけだが、何れは薬という薬は全部効かなくなるのは知れ切った話であるから、そうなった ら大問題である。従ってその時の用意として、今日私は活字に舌に出来るだけ警告しているのである。この結果現代医学は、予期通り革命されなければならない のは火を見るより明らかである。

健康の真理『神示の健康法』

岡田茂吉氏の論文より

 

 

 

一部抜粋転載

 

三 健康の真理『神示の健康法』

 

そもそも、健康を説くに当って第一に心得るべき事は、健康の真諦は自然順応であり、自然尊重である事である。それに就いてまず考うべき事は、造物主即ち 神が人間を造られた御目的は何であるかという事である。我等の解釈によればそれは真善美の完き世界を造る事である。といってもこんな途方もない説は容易に 受入れ難いであろう。勿論、その様な理想世界は何万何十万何百万年かかるかは分からない。としても世界はそれに向かって一歩々々進歩向上しつつある厳然た る過去の事実を見れば否定も出来得ないであろう。そうして神は霊で人間は体であり、両々相まって無限の進歩を遂げつつあるのが実相で、その担当者として人 間があるのはいう迄もない。
以上の如くである以上人間の責任たるや実に大なりというべきであると共に、この大事業を遂行する何よりの条件としては、人間の健康である。この意味に於 いて神は人間にはそれぞれの使命を与え、任務を遂行するに足るだけの健康を与えられているのは当然である。何となればもし健康をそこなうとしたら、神の御 目的は達せられないからである。まずこの道理を基本として深く考えるとしたら、健康こそ人間の本来であり、常態であらなければならない。しかるに不思議に も人間は病気に犯され易い。即ち異常体となるのである。とすればこの事の根本が明らかに判り異常体を正常体に復活せしむる事こそ神の御目的に添う事になる のである。
右の意味によって、人体の異常化を検討する時、何を発見するか。それは何よりも自然に反する為という事である。故にこの反自然の実態を把握し訂正し、常 態に復元する事こそ真の医学であって、その復元の可能であるこそ、正しい医学のあり方である。従って反自然とは如何なるものであるかを以下詳説してみよ う。
人間がこの土に生まれるや、最初は人乳または獣乳を飲む。これは歯が未だ生えず、消化機能も出来立ての脆弱性であるからで、漸次歯も生え揃い、体内機能 も一人前になるに従って、それに適応すべき食物を摂る事になる。また食物もあらゆる種類があり、それぞれ特有の味わいを含んでおり、人体の方にも味覚を与 えられ、楽しんで食するようになっている。その他空気も火も水も、人間の健康に必要な程度に存在しているというように、実に完全に出来ている。人体といえ ども頭脳から理性も記憶も感情も生まれ、手によって物は造られ、足によって人体を自由に移動せしめ、毛髪も皮膚も爪も眼、鼻、口、耳等必要なものは実によ く備わっている、加うるに顔貌から全身まで皮膚によって包まれ、それぞれの美を発揮している。ざっとみただけでも、以上の如くで、些細に検討する時、言葉 では言い表せない造化の妙技である。一輪の花、一枚の葉、山水の美、鳥獣虫魚の末に至るまで、神技の素晴らしさに感嘆せざるを得ないのであるが、特に人間 に至っては全く造物主の傑作である。特に種の保存としての生殖作用至妙に至っては言語に絶するものがある。この様な神の大傑作である人体である以上、病と いう人間活動を阻止するような異変は、如何に反自然的過ちを犯しているかを考えるべきである。人間たるもの、この事に最も反省しなければならないのであ る。

四 人間は健康の器『神示の健康法』

よく昔から人は病の器などと言うが、これほど間違った話はない。我等はこれを訂正して人は健康の器なりというのである。前項に述べた如く元々人間は健康 に造られたものであるからである。ところが実は病なるものは人間に付き物で、どうしても解決出来ないのが現実で、やむを得ず宿命として諦めてしまったので ある。勿論人間一度病に罹るやなかなか簡単には治らない。長くかかったり頻繁に病気に罹ったり人によっては健康時よりも罹病時の方が多い事さえある。それ が為病の器としか思えないので、そのような状態が長く続く事によって病の器などという言葉が出来たのであろう。というのは病気の本体が不明であったから で、病気も死の運命も免れ得ないとされて来たのは無理からぬ事であった。かの釈尊の言われた生病老死の諦めもその為である。また今日予防医学という事を言 われるが、これらも一度病に犯されるや容易に治し得ないからの窮余の産物としか思えない。何となればもし医学が治病能力が絶対であるとしたら、予防医学な ど考え得られないからである。ここで再び本論へ戻るが、前述の如く病原である反自然とは如何なる点であるかを説明してみるが、まず人間罹病するや唯一の方 法として薬剤を用いるがこれがそもそもの誤謬である。薬剤とは漢方に於いては草根木皮、洋方に於いては鉱物植物等から抽出されるもので、これが根本的反自 然である。考えてもみるがいい、右の如き薬剤の性質は必ず苦味、臭味酸味等例外なく人間の嫌忌される味をもっている。よく昔から「薬の後の口直し」という 事がよく物語っている。これらの飲み難いのはなぜであろうかを考えるべきで、神は有毒であるから飲んでは不可である事を示されているのである。かの苦痛緩 和用の麻痺剤としての阿片は芥子の花から採るのである。元来芥子の花とは神が人間の眼を楽しませる目的で造られたもので、決して人間が飲むべく造られたも のではない。また近頃流行薬の一つとして用いられるペニシリンにしても、原料は植物の苔と言う事であるが、これらも人間が口へ入れるものとして造られたも のではない。石または土に美観を添えるためのものである。この理によってあらゆる飲食物は人間の嗜好に適するよう造られている以上それを食えばいいので、 それが自然である。よく何が栄養になるとかならないとかいうような事などは勿論誤りである。食物は凡てその土地の気候風土によって幾分の差異はあるが、そ れがその土地に生まれた人間に適すべく生産されているのである。黄色人が米を食い、白色人が麦を食うのもそうであり、日本が島国であると言う事は魚食を多 くせよという事で、大陸人は肉食である事もそれでいいのである。この理によって、農民の菜食も自然に適っている。二六時中休みなく労働に堪えうるという事 は、菜食が適しているからである。その理を知らない栄養学は近来農民に魚肉を食わせようとするが、これを行えば農民の労働力は減少するのである。それに引 替え漁民は魚食のため持続的労働はできない。間欠的に労働する。また魚食は敏感性を高めるので漁業に適するので、自然は実に良く出来ている。
以上は、薬剤と食物の反自然的誤謬を概略書いたが、特に薬剤が如何に有毒であるに拘わらず、なぜ昔から応用したかという根本原理を漸次とき進めて見よう。

薬物療法より心霊療法へ

 

昭和24年(1949)年

 

 

薬物療法より心霊療法へ

薬物療法より心霊療法へ   松本氏の投稿記事より
昭和24年(1949)年6月25日発行。。
フランスの大医ルネ・アランデイ博士は天然痘を予防するために種痘 を行うと、天然痘に罹り難くなるが、却って結核には罹り易くなると言う事実を指摘しています。この事は十九世紀末から問題になっていて一八八五年オースト リアでは、ウィンナー医学協会々報に千人中十四人の児童が種痘のために腺病質となった実例をあげています。またフランスボルドーの医師ピエロン氏は、成人 して結核に犯され易くなるのは、幼時の種痘の結果であるとの論文を発表しています。
さらにオランダにおいてドクトル・スレトマーケル氏が労働大 臣たりし時、氏は一九二九年オランダへーグにおいて開かれた会議の席上、ホフマン博士が、児童が種痘のために重大なる神経系統の疾患を起した実例百十八件 を挙げて、種痘施術を全国的に中止せんとする議案を会議に提出しています。
英国でもかつて政府が以上の問題に関し、各所の委員会に諮問し、ついに国際委員会がゼネバの国際連盟の衛生部で開かれた際、嗜眠性脳炎が種痘の結果であることが確認されたのであります。
米国においても、ニューヨーク衛生病院長たりしチヤールス・タイアーレル博士は服用薬無用論をとなえて『薬は病気を癒さない、それは自然の治療機能を補助 しないばかりか、それを遅らせるのである。薬はあらゆる病気にとって治療的効力をもっていないばかりか、増悪的影響をもたらすものである』と極言していま す。
またかつて米国アラバマ州の名医エームズ博士は『内外科医学雑誌に自己の臨床上の経験と観察』を発表し『肺炎の治療に普通の薬物治療を用い た場合、却って患者は苦痛を訴え、病気を増悪し、治療を完全にすることを遅らせた。かかる患者は突然衰弱したり、余病を併発したり、快方に向うような徴候 を見せながら突然死の転機を見た』と言っておる。
わが国でも、塩谷信男博士の如き医界の大家で無薬療法を施しておられる人もあり、最近薬物療法よりも精神療法に重きをおく医学者がふえつつあるようであります。
人間が=他の動物も同様であるが=病気に罹るとか負傷した場合、直ちにそれら病傷を癒やすいわゆる自癒作用が患者自らの体内から発生することは周知の事実で、医師はただその自癒作用を助ける役員を果すだけだと言われていました。
しかるに薬物の効果に疑問をさしはさむ者が続出し、しかもそれが医術の大家によって公にさるるに伴い一面霊的療法が盛に高調さるるに至ったことは注目すべ きことで、殊にこの現象が、一八〇三年ダルトンが実験上から提唱した『原子は絶対に不懐性であり、かつ同一元素の原子質量は全く同一であって、化学変化の 単位をなす』と言う原子の永劫不可分説がキュリー夫妻等のウラニュウム放射能の探究に端を発しあらゆる元素は陽電子と陰電子との組合せより成り、陽核の周 囲を陰電子がグルグル回っているものの姿であることが判明するにおいて根本より覆され、今や見ゆる世界、触るる世界、物質あるを知らず、エーテルあるを知 らず、ただ一切をふまえて起てる精なる電子あるを知るのみと唱えらるるに至り、世界中の科学者が唯心科学の殿堂建設に大回転する姿と平行しつつあることは 興味一入深きを覚えるのであります。
ようするに人間も霊的存在であることが明瞭になり、精神が主で肉体は従であることが確められたわけで、病気についても精神療法に重きをおくようになったのは当然と言わなければなりません。
人間は霊的な存在であります、神の造り給うたものであります、仏子であります、従って、絶対であり完全であるのが本来の姿であらねばなりません。人間各自 が自己本来の姿は完全であり絶対であるとの確信に透徹すれば、そこに大安心な得、身心共に大調和にかえり病気は去るはずです。
人間か自己本来の 姿を忘れ、絶えず不完全観に沈淪しまたは病的観念に囚われ心の調和を失う結果、霊肉一如―心身不二の理により病的現象を見るに至るので、神に祈り仏を念ず れぱ神仏絶対力の加被を蒙り大安心を得大調和にかえり病気は去るのであります。但し病気が去ると言うも、人間に自癒作用が生ずると言うも畢竟人間本床の姿 が露現することの別言に外ならぬのであります。
しかしながら、人間はなかなか絶対観に透徹することも神仏の絶対力に乗托(じょうたく)し切るこ とも出来難いのであります。理において会得しても三昧に入ることすなわちそれになり切ることは容易ではありません。しかるに近代心霊科学の進歩に伴い、霊 能の高い人の念力―霊波は他人の心霊に作用してその人の病的現象を是正することの可能が実験上明かにされました。かくして薬物療法より心霊療法に推移せん とするのが今日の状態であります。