日別アーカイブ: 2016年4月21日

地球という世界  で人生ゲームを夢中になっている私

 

魂のインターネット

http://members.jcom.home.ne.jp/dawn-watcher/99_blank006157.html

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地球という世界

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地球という世界は、霊的世界のインターネットにつくられた数多くの仮想世界の一つですが、たいへんユニークな特徴のある世界です。もっとも霊的世界のインターネットにつくられた仮想世界はそれぞれにユニークです。そうでなかったらその仮想世界の存在意義はないのですから。

いま地球世界ゲームに参加して集まっている霊的存在すなわち私たち人間は、特別の体験をする任務を帯びています。それは任務であると考えてもいいし、自ら進んでその任務を選んだのですから、好きでその体験を選んで遊んでいると思ってもかまいません。その任務とは、いったん完全に神を忘れ、自分が霊的存在であるという本質も忘れてしまって、そこから再び自分の本質を思い出し、神を思い出すという体験をすることです。これが「地球世界」という仮想社会ゲームのユニークさです。

なぜこのようなゲームをするかというと、一つは神を忘れることによってしか体験することのできない体験をするためであり、もう一つは神を忘れた状態から再び神を思い出すというところにたとえようのない喜びがあるからです。

近年あちこちに巨大迷路という遊びの場があります。それは人間が中に歩いて入って行ける迷路で、そこに入って行った人はその中で出口を見つけるために悪戦苦闘します。時には6時間も迷って係員に助け出され、地方新聞の話の種になるというような人も出てきます。人はなぜ、わざわざ入場料を払って、迷子になるために、このような迷路に入って行くのでしょうか。それは、困難を克服するために自分の能力を極限まで高めて働かせ、首尾よく出口を見つけることができたという、達成感を楽しむためです。「地球世界」というゲームも同じです。このようなゲームは、もし目標達成に成功することができたなら、困難が大きければ大きいほど楽しいのです。

本来の私たちが存在する霊的世界は神の意識の中にあります。地球世界ゲームというのは、神の意識の中にあって神を忘れるのですから、これはまったくの仮想の体験です。そのために霊的世界のインターネットの中に、物質宇宙という仮想世界がつくられ、その中に地球という仮想世界がつくられました。そして霊的存在である私たち人間は、この仮想世界の中に肉体という仮想の人間をつくり、自分はまったく肉体であると思い込むところまで下りていって、そこから再び神を求めるという困難な旅を続けているのです。

霊的インターネットの中のゲームに、このように自分が霊的存在であることを忘れる旅をする仮想世界が、ほかにあるかどうかは知りません。もしあったとしても、地球という仮想世界はもうひとつ特別の個性を持っています。

その個性とは地球の人間の肉体にあります。地球の人間の肉体は、理性と感情という二つのエンジンをつけた車のようなものです。それはエンジンが二つあるために、非常に複雑な反応をします。時には二つのエンジンが別々の方向に走ろうとして車を引き裂いてしまいます。そのような難しい乗り物を乗りこなしながら、サハラ・ラリーのように、荒果てた砂漠や、険しい山岳地帯や、スリップして進まない沼地を乗り越え、車の故障や互いのあいだの衝突事故を克服して、神を求める旅を続けているのが私たち人間という霊的世界の「ゲームおたく集団」なのです。

地球世界ゲームの究極の目標は、人類のすべてがいったん忘れた自分の本質を思い出し、神を思い出し、本来の霊的存在に戻ることです。けれども、ただそれだけではありません。そこへ到達するまでのあいだに、人類はありとあらゆる生命のドラマを展開して行きます。それは、神を忘れ、自分が不生不滅の霊的存在であることを忘れることによってのみ可能となる強烈なドラマです。生と死、愛と憎しみ、喜びと悲しみ、希望と絶望、・・・そのドラマにかかわっている当人にすれば、とてもそのドラマを鑑賞する余裕などはありませんが、それは神の眼から見れば、そしてこのゲームに参加していない第三者的な立場にいる霊的存在たちから見れば、とても言葉に言い尽くせないほどの美しく切なく感動的なドラマなのです。

地球世界というところは霊的世界の素晴らしい劇場で、私たち人間はその舞台で演じている素晴らしい俳優たちだと考えることもできます。それは生命と愛のあらゆる様相を描き出すための無限のドラマです。私たちはそのドラマを、大勢の仲間たちと協力しながら、いわばアドリブでつくり上げて行きます。私たちは劇作家であり、脚本家であり、演出家であり、そして自らそれを演じる俳優でもあるのです。そして、その多様なドラマのすべてを覆っているのが、いったん忘れた自らの霊性を思い出すというスーパードラマなのです。

人間が体験する地球世界のドラマは霊的存在から見ればすべて仮想のドラマですが、仮想だからといって価値が低いということはありません。人間界の演劇も映画もすべて仮想のドラマですが、それがどれほど人を感動させるか考えて見てください。霊的世界の演劇はそれよりもはるかに感動に満ちたものなのです。

地球のドラマを見守っている霊的存在たちは、神を忘れたところから再び神を思い出すということがどんなに困難なことか、よく知っています。彼らは心からの感動と敬意をもって、私たちの過酷なゲームを見守り声援を送ってくれているのです。

21世紀を迎えたいま、私たちのゲームは大詰めを迎えています。フィナーレの時が近づいています。地球世界ゲームという霊性回復ラリーは、到着順序を競うものではありません。できるだけ多くの人がゴールまで完走することが大事なのです。みんなで手を取り合い助け合いながら、霊性を思い出し、神を思い出す努力を続けてください。

結核の減少は特効薬では無かった事を知らないひとたち

 

これは医者も患者も勘違いしていることだが、結核ばかりか世界の主要な感染症が減少したのは特効薬の出現前からすでに減少過程に入って居たということだ。

この感染症に対する「特効薬」の神話が刷り込まれたまま、現在まで至っている医学が相変わらず「特効薬の研究開発」を進めているのだが、果たしていつまで続くのだろうか、疑問である。

 

 

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

誰も書かなかった厚生省
2005年7月7日 第1刷発行
著 書 水野 肇
発行所 株式会社草思社

結核の減少の原因は特効薬ではなかった

「mizuno-kekkaku.mp3」をダウンロード  

ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

[ 特効薬ストマイ神話の真相]]

ないものねだりと思われるかもしれないが、どうせ治療法が五里霧中なら、少し発想を変えた考え方はできなかったのかと悔やまれる。つまり、眼を海外の事情に向けてみてはどうだったのかということである。

結核は当時、日本が最も苦慮した問題だった。死亡率が高くて患者が多いというだけでなく、青年をねらい撃ちするかのように、前途有為な若者たちがこの病で倒れていった。

しかし、厚生省が独立した時期には、かつて結核が猖獗(しょうけつ)をきわめたイギリス、ドイツ、フランスなどヨーロッパ各国では結核患者も結核死も下火になっていた。

この時代から言えば、結核が鎮火したのは数十年前の話になる。
その原因を探ってみたら面白かったというのだ。
おそらくドイツにはデータが残されていただろう。

結論を言えば、これらの国々で結核が激減したのは、実は栄養状態が改善されたからだった。

もし、戦争中にこの事実に気づいていたら、日本の医学も捨てたものではなかったのにと残念でならない。

もっとも、それと気づいても、当時の日本は食糧難でとても結核患者の栄養改善をする余裕などなかっただろうが……。

それはともかく、日本の厚生省が総力をあげて闘った結核撲滅も、結局はほとんど目に見える効果を上げることはできなかった。

日本で結核患者が減りはじめたのは昭和二十六年(一九五一年)からである。そして昭和三十年代の前半には死亡率、患者数とも激減し、やがて死因のベストテンから去っていった。

この 「不思議とも思われる現象」 は当時、日本の結核学者も、厚生省も、結核の特効薬「ストレプトマイシン」 によるものだと考えていた。

何しろ、そのころはペニシリンをはじめとする抗生物質という「本当に効く薬」が多くの疾病の特効薬として登場し、医師たちはそのドラマチックな効果に唖然としていた。

当然この特効薬の出現によって結核死や結核患者が激減したものと信じ込んでいた。

しかし、これは、次に説明するいきさつで、実は


「特効薬の効果でなく、食生活の改善が原因である」ということがわかるのである。

これには、私自身も若干の関与をしている。昭和三十五年(一九六〇年) 五月、私は日本新聞協会派遣の科学記者団(団員七名) の二貝として二カ月半の日程で欧米の医学施設などを見学して歩いていた。

その日は、ロックフェラー研究所にルネ∵デュボス博士を訪ねてインタビューをしていた。
私たちが訪ねた日はたまたまデュボスの誕生日で機嫌がよく、奥さんが作ったというケーキを振る舞われたのを覚えている。
そして、デュボスのほうから口火を切って、私たちに次のように質問した。

「日本の結核患者が激減し、死亡率も急激に下がったが、あなたたちはその原因は何だと思うか」

私たちは知っている限りの答えを口にした。
大半の記者は特効薬の出現を第一の理由にあげ、なかにはBCGも効果があったのではないかと答えた記者もいた。

これに対してデュボスは

「皆さんの言った答えはすべて違う。私の調べたところでは、日本の結核が激減した最大の理由は栄養の改善だよ」と言った。

私は頭をなぐられたような気がした。発想もユニークだし、展開の仕方も違う。「たいしたものだな」と思った。

デュボスは結核の特効薬ストマイを発見したワックスマンの高弟で、自身も結核のデュボス培地を発見したという結核学者なのに、幅広い視野から栄養に着眼したという点に私は驚異を覚えた。

そして、部屋を出るさい、デュボスは「この話は日本の結核学者にも伝えてくれると参考になると思う」と言った。

私はまったくそのとおりだと思ったので、帰国してから折にふれて結核研究所の幹部などにこのことを伝えた。

だが、ほとんどの人は興味を示さなかった。
「そんなことはあるはずがない」とつぶやいた人もいた。

私は研究者が頑固なことはよく知っていたので、たいして気にもとめなかったが、一様に無視の態度で興味を示した人は少なかった。

それから十数年もたったある日、結核研究所のS先生が私に

「あなたがいつか言っていた日本の結核の激減の原因が栄養改善ではないかという話は、私も気になって調べてみたが、それが正しいと思う」

と小声でささやくように言った。

私はS先生に誠実さを感じた。私はこの話をデュボスに報告すべきかどうかを迷った。

結核研究所ではほとんど意に介している人がいない「たった一人の反乱」のようなものを、報告していいものかどうか判断がつきかねた。

すでに国際的にデュボスの説が正しいということになっていたので、

報告するのも大袈裟かなと思っているうちにデュボスは亡くなった。 私はロックフェラー研究所でデュボスに会って以来、つとめてその著書を読むようにした。それにしてもデュボスの桐眼(けいがん)には恐れ入ったと言うほかない。

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー