結核の減少は特効薬では無かった事を知らないひとたち


 

これは医者も患者も勘違いしていることだが、結核ばかりか世界の主要な感染症が減少したのは特効薬の出現前からすでに減少過程に入って居たということだ。

この感染症に対する「特効薬」の神話が刷り込まれたまま、現在まで至っている医学が相変わらず「特効薬の研究開発」を進めているのだが、果たしていつまで続くのだろうか、疑問である。

 

 

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誰も書かなかった厚生省
2005年7月7日 第1刷発行
著 書 水野 肇
発行所 株式会社草思社

結核の減少の原因は特効薬ではなかった

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[ 特効薬ストマイ神話の真相]]

ないものねだりと思われるかもしれないが、どうせ治療法が五里霧中なら、少し発想を変えた考え方はできなかったのかと悔やまれる。つまり、眼を海外の事情に向けてみてはどうだったのかということである。

結核は当時、日本が最も苦慮した問題だった。死亡率が高くて患者が多いというだけでなく、青年をねらい撃ちするかのように、前途有為な若者たちがこの病で倒れていった。

しかし、厚生省が独立した時期には、かつて結核が猖獗(しょうけつ)をきわめたイギリス、ドイツ、フランスなどヨーロッパ各国では結核患者も結核死も下火になっていた。

この時代から言えば、結核が鎮火したのは数十年前の話になる。
その原因を探ってみたら面白かったというのだ。
おそらくドイツにはデータが残されていただろう。

結論を言えば、これらの国々で結核が激減したのは、実は栄養状態が改善されたからだった。

もし、戦争中にこの事実に気づいていたら、日本の医学も捨てたものではなかったのにと残念でならない。

もっとも、それと気づいても、当時の日本は食糧難でとても結核患者の栄養改善をする余裕などなかっただろうが……。

それはともかく、日本の厚生省が総力をあげて闘った結核撲滅も、結局はほとんど目に見える効果を上げることはできなかった。

日本で結核患者が減りはじめたのは昭和二十六年(一九五一年)からである。そして昭和三十年代の前半には死亡率、患者数とも激減し、やがて死因のベストテンから去っていった。

この 「不思議とも思われる現象」 は当時、日本の結核学者も、厚生省も、結核の特効薬「ストレプトマイシン」 によるものだと考えていた。

何しろ、そのころはペニシリンをはじめとする抗生物質という「本当に効く薬」が多くの疾病の特効薬として登場し、医師たちはそのドラマチックな効果に唖然としていた。

当然この特効薬の出現によって結核死や結核患者が激減したものと信じ込んでいた。

しかし、これは、次に説明するいきさつで、実は


「特効薬の効果でなく、食生活の改善が原因である」ということがわかるのである。

これには、私自身も若干の関与をしている。昭和三十五年(一九六〇年) 五月、私は日本新聞協会派遣の科学記者団(団員七名) の二貝として二カ月半の日程で欧米の医学施設などを見学して歩いていた。

その日は、ロックフェラー研究所にルネ∵デュボス博士を訪ねてインタビューをしていた。
私たちが訪ねた日はたまたまデュボスの誕生日で機嫌がよく、奥さんが作ったというケーキを振る舞われたのを覚えている。
そして、デュボスのほうから口火を切って、私たちに次のように質問した。

「日本の結核患者が激減し、死亡率も急激に下がったが、あなたたちはその原因は何だと思うか」

私たちは知っている限りの答えを口にした。
大半の記者は特効薬の出現を第一の理由にあげ、なかにはBCGも効果があったのではないかと答えた記者もいた。

これに対してデュボスは

「皆さんの言った答えはすべて違う。私の調べたところでは、日本の結核が激減した最大の理由は栄養の改善だよ」と言った。

私は頭をなぐられたような気がした。発想もユニークだし、展開の仕方も違う。「たいしたものだな」と思った。

デュボスは結核の特効薬ストマイを発見したワックスマンの高弟で、自身も結核のデュボス培地を発見したという結核学者なのに、幅広い視野から栄養に着眼したという点に私は驚異を覚えた。

そして、部屋を出るさい、デュボスは「この話は日本の結核学者にも伝えてくれると参考になると思う」と言った。

私はまったくそのとおりだと思ったので、帰国してから折にふれて結核研究所の幹部などにこのことを伝えた。

だが、ほとんどの人は興味を示さなかった。
「そんなことはあるはずがない」とつぶやいた人もいた。

私は研究者が頑固なことはよく知っていたので、たいして気にもとめなかったが、一様に無視の態度で興味を示した人は少なかった。

それから十数年もたったある日、結核研究所のS先生が私に

「あなたがいつか言っていた日本の結核の激減の原因が栄養改善ではないかという話は、私も気になって調べてみたが、それが正しいと思う」

と小声でささやくように言った。

私はS先生に誠実さを感じた。私はこの話をデュボスに報告すべきかどうかを迷った。

結核研究所ではほとんど意に介している人がいない「たった一人の反乱」のようなものを、報告していいものかどうか判断がつきかねた。

すでに国際的にデュボスの説が正しいということになっていたので、

報告するのも大袈裟かなと思っているうちにデュボスは亡くなった。 私はロックフェラー研究所でデュボスに会って以来、つとめてその著書を読むようにした。それにしてもデュボスの桐眼(けいがん)には恐れ入ったと言うほかない。

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