日本のガン医療の限界と自然崩壊


なに~~

と承知の上で書いた記事を再掲しました。

やっぱりダメでした。」

と簡単には言えない。日本の癌医療。

ここまで大々的に勝利宣言してきた手前もあるのでしょうが。
もう負けたんだ」と言えないジレンマ。

「だって、国民が納得しない」とか「国民がパニックにならないように」とか、変な理屈をこねていても、毎日その間違った医療で苦しんでいるのは国民なのではないのでしょうか?

もうずっとまえに、立花隆氏が日本のガン医学のトップ連中が立ち話でその事実を知ったわけですから、いまさら「負けていたとは言えない」などとは言えないはずです。

近代医学は西洋医学一辺倒でしたが、人類から病を解決するという夢を実現するために一生懸命やってきたのは本当でしょう。
(裏にあるものは無視しての話)

しかし、医学は限界に来たということです。
その代表的なものとして癌医療の限界が見えてきたというわけですね。

 

その前に紹介したい記事があります。

逝きし世の面影ブログより

http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/bb5984f37676c59056e37318b03861b2

ーーーーーーーーーー以下一部引用ーーーーーーー

(記事の前後を入れ替えてあります。)

今回毎日新聞が紹介している国立がん研究センターの斎藤博・検診研究部長の

『・・・がん検診で死亡率が下がる科 学的根拠がなく、効果が期待できない。しかもがんではないのにがんと診断される偽陽性があり、放射線被ばくによる将来の乳がんリスクが増す」しかし、こう した知識は広まらない。

・・・「医師でも、がん検診の不利益を理解せず『受けないよりはいい』と情緒的に検診を勧める人も少なくない」

と嘆く。』

 

『国立がん研究センターぐるみの方針転換(敵前逃亡?70年遅れの玉音放送か?)』

今までの唯一の金科玉条の大原則(キャッチフレーズ)である『早期発見、早期治療』を否定するのは国立がん研究センターの斎藤博検診研究部長一人ではない。
国立がんセンターの津金昌一郎予防・検診研究センター長も『がんが見つかってもすぐに治療せず、様子を見ることも検討すべきだ』との同一趣旨の発言をしている。
近藤誠理論(がん放置療法)の採用は個人の思いつきでは無くて、これは国立がん研究センター(日本政府?)としての見解だと思われるのですから恐ろしい。
誰も気が付かない間に、世の中が180度コペルニクス的に大きく変化した。絶対確かだと思われていた正誤や善悪の基準が正反対に大逆転しているのである。

 


 

 

『菊池寛賞を授賞した近藤誠医師の驚愕の仮説「がんもどき論」とは、』

『医者に殺されない47の心得』が大ベストセラーとなった異端の近藤誠医師(預言者?)は独自の『がん もどき理論』を提唱し、同じように見えるがんには二種類が存在していて、『転移する本物のがんは外科手術では治せない』(治療効果が無く、体力を失うだけなので、無駄に命を縮めるだけ)、『転移しない「がんもどき」なら、治療の必要なし』(無駄な治療は体力を失い健康を害する)と断言する。
本物の転移する悪性腫瘍でも、転移しない『がんもどき』でも、癌の早期検診は無駄であり、早期治療も無駄。(近藤理論では癌が大きくなって症状が出た段階での対処を薦めている)
異端の『がんの放置療法』のこの近藤誠医師ですが、『早期発見、早期治療』がスローガンの今までの癌専門医や医学界では『トンデモ論』だとして頭から否定するか、稚拙な論理だとして罵倒や嘲笑の対象でしかなかったのである。
ところが、1年ほど前から風向きが大きく変わる。
今回毎日新聞が紹介している国立がん研究センターの斎藤博・検診研究部長の『・・・がん検診で死亡率が下がる科学的根拠がなく、効果が期待できない。しかもがんではないのにがんと診断される偽陽性があり、放射線被ばくによる将来の乳がんリスクが増す」しかし、こうした知識は広まらない。・・・「医師でも、がん検診の不利益を理解せず『受けないよりはいい』と情緒的に検診を勧める人も少なくない」と嘆く。』
これでは若干表現が違うだけで中身が丸っきり今まで自分たちが散々馬鹿にしてきた近藤誠と同じ『がん放置療法』である。少しも主張に違いが無い。

 


大本営発表は日本の敗戦が決定してからも「我が軍、的に勝利」的な報道があったそうです。

あまりにもお粗末というか、結局終戦後には皆一色単に「民主主義派」に衣替えしてしまって、誰があの特高だの婦人連合会みたいな「国賊追放、取締」的なことはすっかり忘れたかのようになったという・・・

それがこれから起こる「医学の大本営発表崩壊後の世界」です。

昨日は国賊、今日は先駆者として認められるか?

そんなことはありませんね。(笑い)
だって、あっという間に変身、変心しちゃう国民性だから。

「そんなこと、みんなが知ってたよ♪」で、昨日の敵は今日の友。

まあいいことなんでしょうね。

 

たぶん、駄文ですが次をお聴きください。(himaジンに限る)

 

医学の革命と雑多な情報ブログ

医療の限界

2007年09月30日 | 医学と健康

医療の限界
この本を書いている著者はどうやら医療のプロらしい。
前に「医療崩壊」という題名の本も出しているし。

医療が崩壊する・・・・医療は限界に来た・・・

と言っても、それは西洋医学を主体とした医療の事だとはハッキリしている。

単純明快に言えば、「攻撃」を主体とした医療そのものの自主崩壊というか、自然崩壊という、実に単純に起こる自然現象なのである。

などというと、いかにもエラソウに!!・・となる、

じつは、僕的にはこういう現象が起こる事は「少し遅すぎた」と思う位なのだ。というのは、1980年、あれからもう25年も過ぎ去ってしまったけ ど、あの時に「将来かならず今の医療は限界に突き当たって自然崩壊することが目に見えている・・」などと言う、なんとも怖ろしくもありがたい?お話しを聞 いていたからである。
もっとも、そういう話しはもっともっと前からあったという事で、僕が聞いた時点でもそれからそうとう年月が過ぎ去っていたということなんだ。昭和初期の頃からそういう話しを出し始めていたんだ。
証拠提出じゃないけど、昭和10年には論文としても書かれていた事は「わたしんちの岡田茂吉研究ブログ」内で引用記事にしてある。

医療現場に居る人や医療関係者のプロ達には相当な現実感を持って医療崩壊とか限界を感じていられるらしい。

しかし、今でもほとんど大半の一般人(これをイッパンタイシュウと呼ぶ事にする)は、今の医療が崩壊するとか、限界に来た、とか言われても目を白黒したり、耳を引っ張ったり、鼻をほじったり、足の親指と人差し指を擦ったりして、なかなか信じられないだろうけどね。
そりゃそうだべ。
だって、「医学が進歩すれば病気はなくなる」と固く信じさせられて来たイッパンタイシュウ人民にしてみれば、進歩 すればするほど医療が立派なものになるという様に、頑固一徹親父に仕込まれた☆ひゅうまじゃないけど、絶対にこの医学の進歩の先には「崩壊」とか「限界」 とかの文字は辞書には無いはずだったからだ。

当たり前だよね。医学は立派な最先端科学なんだから。進歩するに比例して医療成績が良くなるという理屈なのだから。
また、政府も国民も一緒になってそれを信じてきたし、マスコミもそれそれと大きな団扇で煽ってきたわけだ。
ところが、である。

いつの間にか知らないうちに、そういう医療の方の専門家の方からそんな禁句が出て来たから、それはもうビックリしたなも~~である。

けど、まだまだそういう話しがイッパンタイシュウ側に届くまで時間がかかるだろうなあ・・・
もっともそんな話し聞く耳持たないだろうよ、きっと。長い間大本営発表の勝ち戦ばかり流してきた罪を、「ああそう・・」などと、あっさり受け答える訳ないじゃん!

もう半世紀どころかもっともっと前から「今の医学は将来鉄壁の壁にぶち当たって崩壊せざるを得ない」などという論を見せても聴かせても、屁のカッパじゃない。
「なに抜かしてるんじゃ~、この迷信笛吹ヤロウが、バカも休み休み言えっつんじゃ~~あ!」

などと言われるのが関の山。はは、発表後ここまで来るのに半世紀どころか何十年もかかっちゃった・・・
さて、この愚かにも大本営発表的医学情報を鵜呑みにしてきたイッパンタイシュウ側にどうやったらうまくオツムを切り替えさせられるかだなあ・・・

社会保険庁が年金についてチョボチョボと小出しにして国民に少しづつ免疫を付けようとしているように・・・・なんたって、一度に「じつは・・・我が 国の保険制度は限界に来ました。もう崩壊を待つばかりの状態であります・・云々・・」などと言ってしまったら、国民は腰抜かすぞ~ おい!

いや、上記の話しが本当になるかどうかはあくまで僕の妄想であるから気にしないで。
さらに言えば社会保険の基金という国民から集めたお金はほとんど無くなってしまってさあ~~  などとは、口が裂けても言えない・・・・くちさき女にでも頼むしか無いのが本音だろうねえ・・・ これも妄想(爆) お金はチャンとあるよ(と思いたい)
しかし、どうやらこちらの医療の限界とか崩壊の話しの方は現実となって来るような確率が大きいと思うのだけど。

しかもこれは僕のような土素人が言い出した話しではないからだ。
専門的に、大局的に立って、これはどうしてもそうなるしかないという現実が見えてきたからだろう。
むしろ、現実が見えないのは現場で働いている医師達よりも、ずっといのが患者側になるイッパンタイシュウ側国民の方ではないだろうか?
なにしろ「教育」が素晴らしすぎた。「教育」が永すぎた。
いまさら「神国ニッポンが負ける寸前になっている」などと言っても、国民の方がなかなか信じないだろうし。
あくまでも「ヘ○な医師による医療ミスなんだ」として裁判に訴え出る人民が多いのでは?
そう・・・医学は正しいのに、それを行う医師に問題有りという個人的な攻撃を仕掛けてくるのだろう。

今の時代、医師になっている人達には同情したくなる。
やればやったで訴えられ、やらなければ診療拒否として訴えられ、立場の無いやるせなさを感じていらっしゃるのではないだろうか。

そういう、もうめちゃくちゃ信じ切ってしまっているコクミンにどう説明して医学の敗戦を説いて聞かせたら良いのだろうか?
竹槍で敵機を打ち落とすのだあ~~と、いっしょうけんめい訓練しているオバチャンやオジチャンたちにどう話すというのだ。
いまさら言うには相当な勇気がいる・・しかし・・敗戦はもう目の前に見えているのは確かだ・・・どうすれば大衆を納得させ、かつうまく敗戦処理をすれば良いんだ・・・

そうだ、敵を利用するしかない・・・
上も下も一度に納得できるにはこれしかない・・
そして後々になって「ショウガナイ発言」として誰もがみとめざるを得ないだろうという前提のもとで・・・あれを使って貰うしかない・・

などと物騒な話しでも相談されてしまったら、これは相当な悲劇である。とにかく社会保険庁を習って、ジワジワでも良い、チョボチョボづつでも良い、小出しをしつつ、これを国民にも納得させていかないと、ある日突然発表などという事は避けなければならないだろうなあ・・
とにかく、今の状況ではイッパンタイシュウ側の多くは今の医療をとことん信じ切って来たのだから。

それを教え込んだのは誰の責任?

誰という特定の人間などいないのさ。
「医学」という教典、タルムードの様なものだ。
もっと言うと、思考だな。それに全人類がひっかかってしまっただ。
これが善悪で判断したら開かん。
人類進化のための背景として必要悪だった。そして、いまは不必要悪になっただけの事。
すべては時の流れに身を任せて~~ 人類の集合意識の選択かね~?

そうは言っても外づらの顕在意識の私には、ソンナコト・カンケイネエ! 納得できない

その原典を見直さない限り、「なぜ、なぜ?」と誰もが原因を知らずして突然の敗戦を大きなショックで聞くことになるだろう。
しかし、そう心配するほどのことでもないかも知れないなあ。
先の日本国の敗戦では人民の多くは心の中では薄々気づいて居たかも知れないぞ。
周りのみんなが一斉にニッポン!チャチャチャをやっている最中には決して口に出せないでいたものが一挙にはき出せる時になるかもね。それを静かに待っていたのかも。

いままでは本当の事が言えなかった。
みんな怖いのさ。周りから村八分にあうのがね。
「薬は毒だ!」「薬が病気を造る」「現代医学は科学ではない、迷信だ」 などと言ってごらん。
昔なら、たちまち「御用だ!」と官憲が飛んできただろう。
今なら、「オマエのアタマオカシイ」と敬遠されるだけだけど。

でも、みんながこれを言ってしまったら、もうお仕舞いだなあ・・・・おいらの出番薄くなる・・・変人が普通仁になってしまう・・
さあ~~ 言ってみよう~~

くすりはどくだあ~~~~
くすりは病気をつくるぞ~~

きもちいいだろう。

本当のことを言うときもちがいいものだ。ははは。

さあもういちど!

オマエのかあさん、で~べ~そ~~

ばかあ~~、おれのかあさんはおまえのかあさんでもあるんだど。

はっ、  うちらは兄弟だった・・・

あのう・・・・・書いている人が笑っているだけですけど・・・
そんなわけで、僕のオッパッピィーブログであってもそういう先駆的な役目があるという大儀名文を主張したかったわけ。

そう、ちょっとづつだけどほんのほんの一部の人たちに、そういう前情報となるようなヒントを持って貰えたのではないかなあ~などと意味づけているのだけど。
このブログ、医学の革命 などとたいそうな名前を付けているけど、これはひと言で言えば、「薬という毒物」を使わないで死んで行こうじゃないかーーーという、生き方のひとつを提示してたわけ。
なに~~い~~「死んで行く~」だと~~~
「縁起でもない!」
と言われるだろうが、もちろん「死ぬまで生きて行こう」という事であって、無理に死んでしまえという事ではない。
ずっと長生きしたいのは人一倍だからね。

しかし生まれた途端に「死に向かって生きて行く」のが人間様の特権というか、そういう事を承知した上で、人間としてこの世に産まれて来たのだから、これはもう逆らえない「ショウガナイ発言」だな。

どんな素晴らしい療法であっても最後に人は死ぬ、としたら、どんんな療法も最後は治らない場面に出会うだろう。
それを寿命というが、だれも自分の寿命なんて知らない。
もちろん、他人様の寿命も知り得ない。

まあ、この事を今の人類ならだれでも了解できると思う。
だとしたら、現代医学であろうが民間療法であろうが、最後の最後は死を迎えるのは決まり事として、それを前提としてこれからの医療を考えなければならないだろうな。

人間誰しも最後は今の時代、特に日本国では現代医学のお世話になり最後を迎えるだろう。
(何と言っても死亡診断書を書いて貰わないと、不審死として取り調べられ、遺体解剖などもやられるんで、これは現法律上、医師にかからないと安心してあちらに逝くことが出来ない仕組みになっているのだ)

そして・・最期は・・・
薬を飲んでも死ぬし、飲まないでも死ぬ。

あとは寿命だと思われる死期を迎えるまで元気で健康に生きたいだけだ。

これはマチガイナイ!!
肉体レベルの話しだけど。
それを万般承知の上で、医療の本質に迫るべきだろうな。

治すとか治されるとか、いろいろ立場によって言葉が成り立っているけど、じつは治す治るは自主独立自分のものかも知れない。
変な言い方だけど。
自分以外の他に左右されるものではないのではないかも知れないのだ。(病気についてだけど)

ただその過程において大きな影響を受けるのだろうが、本質はやはり自分自身の範囲内なのだろう。
外側から左右するのはあっても、やっぱり本流は自分なのだろう。
その主体となるべき自分を他人様に預けてしまった所から医療という、何か上下の差みたいな、権威のあるなしのような、一種の宗教が生まれてしまったのかも知れない。
そういう所が見えてくると、医療崩壊とは他者依存からの自主独立という主権回復への一里塚(当てはまる言葉かな?)なのではないだろうか。

そういう風にみていると医療崩壊とは実にけっこう、医療の限界、じつにけっこう、先の見通しは明るいぞ、となるのだ。
現実に起こっているという医療崩壊なのだそうだ。
医療保険制度に乗っかっている西洋主流の現代医学の崩壊はじつに起こるべくして起こる自然現象としか思えない。それに自然崩壊と言っても決して未来が暗いというのでは無い。

そこから本当の医療、真実の医学というものが見えてくるのだろう。古い価値観が崩れて新しい価値観が自然と浮き上がってくると思えば、なにか心楽しい気持ちにもなる。

アメリカでオシッコという、マイケル・ムーアが最近また映画を出したそうだが、あの内容もやはり現代医学の土俵での話しの様だから、全然旧世紀の価値観で見ているのだろう。

たしかに事故とかの救急医療として現代医学の役割は大きいだろうけど、しかしそれは医療全体のホンの一部でしかない。
アメリカのロバートメンデルスン博士は今の医療の9割は必要ないしろものだと表現したが、将来は残りの1割さえももっと少なく減らされるかも知れない。

極論をもって100パーセント不必要だなどとは考えられないけど、相当な面で現代医学の治療方法は不必要になって行くと思う。
しかし、今すぐそうなるというものでも無いだろうし、そんな劇的な局面はイッパンタイシュウ側には混乱をまねくだけだろうから、徐々に事実を事実として明かして行く方法になるだろう。

その点は社保庁の今後のやり方をみて参考にしようではないか(笑い)
ここで僕のような度素人がなんのかんのとゴチャゴチャ言っていようがいまいが、現実には西洋現代医学の崩壊が始まっているのだろうから、これからも加速されて行くという状況は道筋としてハッキリ決まっているのだろう。

そうなると、いろんな他の医療方法が浮かんでくるだろうなあ。
また元の漢方が良いとかも言われるだろうが、本質を良く考えてみると、何か他のものが自分を治すという様な思考であるとなかなか行き先が混乱して行くのだろうなあ。
百花繚乱の後、多くのものが消え去りようやく少しの数の療法が医療の本筋に上がってくるとして、一時の混乱時期があるんだろうななあ・・

最終的な選択肢
簡単に言えば
対症療法と根本療法 かな。
これは肉体面での対応。
しかし、今は
精神面での対応が非常に大切な癒しの柱になりそうだ。
内の心(俗に言う高次元の私)と外の心(俗に言う顕在意識)のギャップが深まると、その不調和を縮めようという働きが病気として起こる、気づきの添加剤のやくわりのように。

肉体的な原因としては薬や食品に混じった毒物群などなんだろうけど、遺伝毒素としての記録はDNAにありそうだ。
そして、その引き金になるのが人間の意識にありそうだ。

そんな話しもドンドン出てきているし。

エラソウな事言っているけど、みんな受け売り情報に過ぎない。
いや、すべては受け売り情報で僕のブログは出来上がっているのだけど。

そんな訳でいろいろな情報を持ってきては、それを貼り付けたり紹介する作業に徹しているわけだ。

そんなコトしているヒマがあったら、自分のところを解決しろよ!!とつっこみを入れられのは充分承知なんだけど、やっぱりやめられない止まらない・・・・エビセン
要は寂しいんだな・・
村八分はイヤなんだね・・・

まあ、ブログ書いているのもたいそうな意味も無いんだ。
自己満足。自分で書いたもの読んで自分で喜んで・・・・
もちろん、使命なんてのも幻想だ。
そういう風にたいそうな意味を自分に持たせないとやってられないってだけなんだ。
というところで、さて 寝るか・・・・

ここまで読んでくれた方  ありがとう~~ 感謝!!

参考HP

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50880661.html

追記

あ、やっぱり年金のストックは相当減っているみたいですね。

副島さんのBBSに記載されていました。なんでも半分どころか、3分の1近くになってしまったというらしいです。こんな事口が裂けても言えないですよね。

「みんなみんな、のんじまったあ~~~~」と、藤沢周平さんの小説でありましたね。一日稼いでもその晩にみんな飲んで使ってしまう貧乏職人のセリフですが、僕はいつもこれを口まねしているほど気に入っているんですね。

みんなみんなのんじまったあ~~  みんなの年金

でも、少しは残っているらしいから よかった・・・

次は健康保険でしょうか。

医療の崩壊、医療の限界 という言葉はお医者さんが発したんですから、これは大事になっているんでしょうか?そのまえに、医療保険の崩壊やら、病院経営赤字やらも絡まって、相当厳しい所にきているようです。

しかし、負け戦と判っていても最期まで頑張るのもお役目なんでしょう。
年金問題なども行き着くところまで逝かないと、いきなり「ほとんどなくなってました・・」などと言えませんでしょ。

でもコクミンは怒っちゃイケマセン。 これが元でモット良い仕組みと想念が出てくるんですから、万事塞翁が馬だと静観しています。

医学の問題も必要あっての崩壊でしょうから、その後はもっとよくなる仕組みですか。

終わり


ボクの戯言(たわごと)はここで終わっていますが・・・

実は大本営発表崩壊後の今を預言警告していたのが

食と生命ーー森下博士の国会証言

2007年10月01日 | 医学と健康
医学の曙 (【『食と生命』より】
新しい生命観
――食は血となり肉となる――
光は東方より昭和四十一年四月七日、春爛漫と咲き誇る議事堂前の桜並本を通り
て、一人の少壮医学者――ーー森下敬一博士(当時葛飾日赤血液センター所長)
が国会の赤絨毯を踏んだ。
この日午前十時三十九分から開かれた衆議院科学技術振興対策特別委負会(第5
1国会)において、対ガン科学に関する学術参考人として出席するためである。

 

この時すでに「日本の癌医療は行き詰まる」事を明言したのですね。

ところが時の医療大本営は「必ず勝つ、連戦連勝の日本の医療」と高らかに宣言。

そして、もうすぐ終戦、いや敗戦宣言をしなければならなくなったようです。

それが先に紹介した国立がんセンターのトップの人たちの文言でしょうか?

しかし、まだまだ国民のほとんどが『医学の勝利』を疑いなく、まさか大本営がウソをつくわけが無いという、希望を捨てきれない状況において、そのことを大々的に発表することは控えつつ、少しずつ漏らして行くという作戦に出たのでしょうか(笑い

まあ笑い事ではないのですが。それだけ癌医療は人を苦しめているという現実がありますから。

しかし、国民が望んでいる状況下もかんがみて、どういうようにして終息宣言をするか。

敗戦宣言は天皇陛下の裁断が必要なのかという、ひじょうにむずがゆい状態なのでしょう。

 

私見、

はやくやってしまえがいいのに。

だって、あっという間にみんなが「ワタシはずっと前から民主主義者でした」と変心する国民だからね。気にしないで、はやく「やっぱりダメでした、攻撃的医療を主体とする現代医学は。みなさんもう、切り替えましょ、別の医学に」

とさっさと宣言してしまえばいいのに。

ただ、股間にかかわるとか、飯の食い上げだとか言って、駄々こねている大本営患部達はほっときましょ。